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【3・11】震災の日、帰宅難民となった上司を置いて帰宅した話

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3月11日ですね。

時が経つのは早いもので、2011年3月11日の東日本大震災から、ちょうど5年も経ったということになります。

こんな日に、いつもの様におちゃらけたブログ記事を書いちゃうのはちょっと不謹慎かなあ〜と思って、今日はブログ書くのをやめようかとも思ったのですけれども、書くことにしました。

と言うのも、この時期になると毎年思い出すことがあって、それは今日しか書けないよね、と思ったからです。

それは、震災の日、以前勤めていた東京都内の職場(大学)の上司(教授と准教授)を置いて帰宅してしまったことなんですよねえ。

その時は、そうするしかなかったのは確かなのだけれども、震災から年数を重ねた今になっても、ちょっと申し訳なかったかなあ・・・いやいや!でも仕方ないよね!と複雑な気持ちになってしまいます。

まあ、東京都内の被害は、東北地方の被害とは比べるべくもないのですけどね。

東京都内の大学に務めていた時代に経験した東日本大震災の話

僕は、2011年の当時は、某芸術系大学の助手をしていました。だから、ここで言う上司と言うのは、教授とか准教授の先生のことですね。

僕が助手として勤めていたのは金属工芸系の研究室でした。だから、学生がいる時期はガッツリと面倒を見てあげなくてはならなかったりするのですけども、3月11日はちょうど春休みだったので、学内のいるのは職員だけという状態でした。

ちょうど、入試も一段落したところだったというのもあって、忙しいのがやっと一段落した時期でもありました。のんびりと自分の研究とかそういうのをやれる!という感じだったのですよ。本来であればね。

懐かしいなあ。

人がいない時期で良かった

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記憶が少々曖昧になりつつあるのですけども、揺れが来たのは、お昼ごはんを食べ終わってから、少し仕事をこなしてからのことでした。

いつもだったら、ここの研究室には学生含めて30人以上いるんですよね。けれども、この日は大学が春休みということもあって、研究室内もいつになく閑散としていましてね、僕と、もう一人の助手と、教授と、准教授の計4人でした。

ここからは、仮に、教授を「I先生」、准教授を「M先生」、もう一人の助手を「Eさん」とします。

今になって思えば、学内に学生がいない時で本当に良かったと思います。いつもどおりに人が多い時だったら、もっとエライことになっていただろうなあ・・・

震度5強の地震

この日は、いろいろと雑務はあったのだけれども、大きな仕事はありませんでした。学生もいないし、こういう時は自分の制作とかそういうのをやるには絶好のチャンスなのですよね。学生達がいると、ゆっくりと自分の研究活動が出来ないですからね。

だから、お昼を食べ終わって、ちょっとした事務仕事をしてから、自分の仕事をしようと思っていたのですよね。そんで、その前にちょいと一息入れようと、1階の教官室でお茶を飲んでいました。

この時、1階の教官室では僕とEさんとM先生の3人でまったりしていて、研究室のボスであるI先生は2階で作業をしている様子でした。

その時です、突然ものすごい揺れを感じたのは。(14時46分)

最初は、ビリビリとするような感じの揺れでした。けれども、徐々にはっきりと地震とわかるようなレベルの揺れに変化していきました。長い時間、縦方向に揺れていたのが印象に残っていますね。

そして、その揺れは今までに経験したことがないレベルのものに成長していきました。

立っていられないような揺れでした。すぐに机の下に逃げ込んで、揺れが収まるのをじっと待ちました。

ちなみに、僕の記憶が確かならば、東京都23区の震度は「5強」だったかな。

とにかくびっくりしました。めちゃくちゃ怖かったです。

テレビの映像が怖かった

揺れが収まってから、研究室内の設備のチェックを4人で手分けして行いました。金属工芸系の研究室ですから、特殊な機械とか危ない薬品とかがけっこう置いてあるので、倒れたり破損してたりしてないかという確認作業ですね。

そしたら、案の定、人の背丈くらいある工作機械とかが倒れかけてたりとかしてて、かなり危ない状態になっているところもありました。けれども、基本的には、大きな被害はなかったのが不幸中の幸いでしたね〜

その後は、仕事したり作業したりする感じではなかったので、とりあえず何が起こったのか確認するために、4人でテレビを見ました。

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この時のテレビの映像は、今でも忘れられるものではありません。今まで見たことのない規模の災害のリアルタイム動画だったわけですからね。津波で、おもちゃのように流されている車や家や街が映しだされていました。

特撮映画か何かを見ているような感覚で、全くリアリティーなかったですね。

本当だったら、この映像だけでも泣いちゃいそうなくらい怖いものだったはずなのだけれども、この時ばかりは全く何も感じませんでした。

家に帰りたい

さて、テレビを見ながら、多少は落ち着いてきました。しかし、冷静になると、自分の家のことが気になってきてしまったのですよねぇ。

あれだけの大きな揺れが起こったわけですからね。自宅の家具などが倒れたり壊れてしまっていてもおかしくありません。食器とかバリンバリンになっていたらどうしよう・・・非常に不安な気持ちになりました。

そういうのって、気になり始めると、ものすごく気になってくるものです。だから、猛烈に家に帰りたくなってきてしまったのですね。

と言うか、できるならば帰るべき状況ですよね。

ちなみに、この時は、うちの奥さんとはもうすでに結婚していて一緒に住んでいました。ところが、間の悪いことに、ちょうどこの時、うちの奥さんはバリに2週間ほどお友達と旅行に行っていました。だから、今、僕が帰らなければ、自宅はもぬけの殻状態というわけです。とんでもないタイミングで日本を脱出してしまったもんですよね。

ちなみに、後でうちの奥さんに聞いたら、バリでもテレビで日本の震災のことがニュースになっていて、現地の人に「アナタ、ニホンジン?ツナミ!ツナミ!」と言われて震災のことを知ったのだそうですよ。

帰宅難民となった上司達

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だけど、問題がありました。「電車が全部止まってしまっている」、ということをニュースを見て知ったことです。

実は、僕とEさんは自転車通勤なので、問題なく家に帰ることができます。万が一、道が地震で自転車通行不能な状態だったとしても、僕達2人は歩いて帰ることも可能な距離です。

しかし、I先生とM先生は家が遠く、とてもじゃないけど帰ることが出来ません。部下2人は大丈夫だけど、上司2人は帰宅難民となってしまったというわけですね。

さて、上司を置いて、帰っても良いものなのだろうか・・・それとも、付き合って一緒に泊まるべきか・・・

非情にも、教授と准教授の二人は大学に泊まることは確定してしまっている状態です。

ちょっと記憶が曖昧なのだけれども、たしかこの日は、夕方くらいに大学の学食が炊き出しみたいな感じで、学校に残っている職員のために食料を配ってくれたりとかしてくれていました。だから、飢えることはなさそうです。

けれども、ろくな寝床もないような研究室に上司2人を置いて帰ってしまうのは、なんとなく気が引けました。いや、なんとなくっていうか、ものすごく申し訳ない気持ちになりましたよ。

でもさ、帰ることが可能であるのならば、家が心配だし、帰るしか選択肢はないですよね・・・。

ちなみに、Eさんは、ちょうど都内に出てきていた実家の母親から「帰れなくなってしまったから、あなたの家に上がらさせてもらっている」という内容のメールを受け取ったのだそうです。

つまり、現在、Eさん宅には、たまたま買い物にするために東京に来ていて帰れなくなったEさんの母親が待機している状態です。

これは帰らざるを得ない!

帰りました

でも、やっぱり自宅の現状を知りたかった僕とEさんは、I先生とM先生に帰宅したいという意思を恐る恐る伝えました。


僕「すいません帰りたいです・・・」

Eさん「私も帰りたいです。」

I先生「本当に帰るのか?俺達は帰れないのに?」

僕「はい・・・」

Eさん「はい・・・」

M先生「三木くん、Eさん、本当に帰るの?」

僕「はい、どうしても家が心配なんです・・・」

Eさん「なんか、たまたま母親がうちに来ているみたいなんで・・・」

I先生「仕方ないな。」

M先生「仕方ないですね。」

僕&Eさん「本当にすいません(´;ω;`)」

I先生「仕方ないから、M先生、今夜は2人で過ごそうか?」

M先生「はい・・・」


正確には覚えてないけど、こんな感じの会話があって、帰宅することを上司2人に了承してもらえました。

夕方の5時ちょうどくらいだったと思います。僕は、自転車で帰宅する事になりました。

人がものすごく多かった!

当時住んでいた僕の家は、大学から自転車で25分程の距離でした。でも、この日はいつものように自転車でさっそうと走り抜けることは出来ませんでした。

帰り道は、薄暗くなっていたというのもあって、正直いって異様な光景でしたよ。

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武道館のライブイベントの直後かと思うくらいに、道という道に人が溢れかえっていたのです。ただ、みんなスーツ着てたりとかして、明らかに仕事帰りの格好でしたね。

これ、全部帰宅難民です。

僕みたいに自転車通勤ならば良いのですが、都内は電車を利用している人がほとんどでしたからね。人によっては数時間とか、夕方から深夜までずっと歩いてやっとのことで自宅まで帰った人もいたそうです。

東京の、地震に対する弱さを思い知った瞬間でした。

家の惨状

人混みをすり抜けながら、なんとか自宅に着きました。

部屋の中をいろいろと見て回ったのですが、やっぱりいろいろと被害はありましたね。

食器類は奇跡的に無事だったのですが、玄関に置いてあった作品2点が落下して壊れたりしていました。他にも鏡が倒れてたりしました。(割れてなかったけどね)

もう一つ困ったのが、ガスが止まってたことですね。

これ、夜中にシャワーを浴びようとして全裸になってから気付きました。この時期なのに、水しか出ないんですよ。すげー寒かった!

仕方ないから服を着て、屋外のガス栓を見に行ったらガスが止まっている表示が出ていました。揺れを検知して安全装置が作動してしまったのですね。これを解除して、ようやくひとっ風呂浴びることが出来ました。

この日、やっと心を落ち着けることが出来た瞬間でした。

まとめ

もちろん、震源地に近い東北地方で被災されてしまった方達に比べたら、こんな経験は屁でもないのですけどね。

東京都内での話ではあるけれども、僕、この時の記憶は一生消えることはないんじゃないかなあ。

震度5強の揺れでも、大変でしたよ。

というか、揺れそのものも怖かったけど、それ以上に、電車が止まったりとか、停電したりとか、東京のライフラインのもろさも感じた経験でした。

帰宅難民となった上司2人を置いて、若い二人が帰ってしまうという、なかなかに心苦しい行いをしてしまったわけですけども、普通に許してもらえて良かったです。仕方ないこととは言え、さすがの僕でも申し訳ない気持ちになりましたよ。

次に、先生達に会って、何か言われたら「あの時はすんませんでした!」って言わないといけませんね。いや、でもまあ、実はその後、僕が助手を辞めるまでは、震災の話が出る度にそのことが話題になって、その度に何度も謝ってたのですけどね。先生たちにとっても、色んな意味で忘れられない経験だったということなのでしょうね。

正直言って、被災されてしまった方には、何と言ってよいかわかりません。東日本大震災の片鱗しか味わっていない自分には、被災された方の気持ちは想像を絶するからです。

ゆえに、被災した人間にかける言葉は、僕には見つけることができません。

でも、こうして当時、経験したことの記憶を書き綴ることで、震災への危機感だとか、そういうことを意識するきっかけになればと思います。そして、それが自分にできることなのかなあ・・・と思って、こうしてこのような記事を書かせていただきました。

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