MIKINOTE

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日本一の職人は日本一の教師ではないけれども、それで本当に良いのかは考えさせられる問題

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最近、はてなブログの新着エントリーとかを見るのが日課になっているのですが、いろいろと読んでいたら、「なるほどなあ〜」といろいろ考えさせられる記事がありました。

http://anataosasaeru.hatenablog.jp/entry/「技を盗め」と「見習え」の違い%E3%80%82そこから生まれanataosasaeru.hatenablog.jp

「技を盗め」という、職人さんがよく口にしそうな言葉について書いてあります。

僕は、これそのまんまの文言を本気で口にする人には実際に会ったことはありません。でも、まさに「職人」というイメージの話であると感じます。なぜなら、職人さんってどんなジャンルの職人さんでも、「教える」ということが苦手な人が多いからです。

僕は職人さんに弟子入りしたことはありません。けれども、似たような世界にいたこともあるし、スーパーテクニックを持っている職人さんの知り合いも何人かいますから、それはなんとなく想像できます。

人に教えるテクニックと自分でやるテクニックは別物

上記のリンクさせていただいたブログからの引用を貼っておきます。

結論から書くと、「技を盗め」と言われても「はい?」となるだけ。その人に技術があるかどうかを見極めるまでは盗みようがない。最初から盗もうなんて無理な話。最初は盗もうとする意気込みだけで十分。仕事を覚えなさいという意味で多用する言葉ではない。

「技を盗め」と「見習え」の違い。そこから生まれた持論。作文を書きました。 - めっちゃ便利な世の中だ~遊ブログ~

まあ、熟練した職人さんの技術を「盗め」とか言われても、困ってしまいます。そんなん最初からできるわけないですもんね。

職人さんの技って、本当にすごいものだと思います。特に腕の良い職人さんの作業している動きというのは、なめらか過ぎて素人からは意味がわからないくらいに見えるものです。「技を盗め」とか言ってしまうというのは無理ゲーにも程があるというものですよね。

学生時代は彫金をやっていました

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僕は、大学時代は東京芸術大学の工芸科という学科で「彫金」を専攻していました。「彫金」と言うのは、いわゆる金属工芸の一種で、古くは刀装具なんかに使用されていた日本の伝統的な技術の一種です。

伝統工芸の一種である彫金を「学部→大学院」の期間、習っていたというわけなのです。まあ芸術系大学の学生だったということで、やっていたことはその技術を使って「アート系の作品」を作ることでしたけどね。けれども、とりあえずは「彫金」の技術が使えないと作品自体を作ることは出来ないので、教授や講師や助手の先生の教えを受けながら日々頑張っていたというわけなのです。

僕の通っていた大学の「工芸科」は、よく他の科の人から言われていたのは、「職人的な徒弟制度みたいなものに近い授業スタイル」ということです。先生が「師匠」で、学生が「弟子」というわけですね。そんな感じだったので、芸術系大学の学科の一つとしては、教員と学生の密着度というかなんというかが、かなり近い感じでした。

今思えば、「職人さんの工房に弟子入りして、技術だけ学ばせてもらうことができる」という美味しい学生生活でしたね。

教える技術

芸術系大学の先生ですから、先生方もかなりの個性派揃いでしたね。今思えばへんな人ばかりが集まっている場所でした。

特に、学生にものを教える時の姿勢だとか方法も、人それぞれでした。いや、そもそもほとんど学生の面倒を見るとかそういうことはしないで、ずーっと自分の作品を作っている先生もいました。でもそんな感じのゴーイングマイウェイな先生も、質問すればちゃんと答えてくれるし、真面目にものづくりに取り組んでいる学生に対しては優しかったですね〜

やっぱり、芸大の先生と言うのはアーティストであるけれども、「大学教員」なのですよね。いざ教えるとなるとわかりやすいし、教え方も経験豊富なだけあって、上手なのです。


けれども、ちょっと「むむっ!?」と思ったこともあって、それは自分が教える側になった時のことです。

僕は技術的な部分では、かなりできる方だったのですけど、教えるのも得意でした。まあ、学生時代は予備校講師のバイトをしていたこともあったし、先生的な職業には向いていたのかもしれません。その辺りの能力を買われてか、他に人がいなかったからかわかりませんが、大学院卒業後はそのまま同じ彫金研究室の助手をやらせてもらうことになって、学生の面倒も見ることになったのです。

でも、いざ自分が彫金の技術を学生に教えるとなると、それがかなり「大変なこと」であるということもわかりました。何しろ教えなくてはならないことがすっごく多いのですよね。例えば、ヤスリがけとかの基本的なスキルを一つとっても、ちょっとした力の加減だとか、微妙過ぎるの角度の違いとか、そういったことを素人同然の学生に教えなくちゃならないのです。

「1+1=2」とかみたいな答えがすぐに見つかるような単純なことばかりではなくて、反復練習によって理解することができる感覚的な部分のコツなんかも含めて、複合的にいろんなところを教えなくてはならないのです。

でも、僕が当時、大学生だった時代にはそんなに細かく教えてもらった記憶がないのです。当時の先生もちゃんと教えてくれてはいたのですが「必要最低限の技術は教えるけど、後は自分でやってね!」というかんじだったのでしょうかね。今思えば、「もうちょっと教えてくれたっていいじゃない!」ということがかなりあったのです。

と言っても、教えられる学生も、東京芸大の学生ですからみんな飲み込みが早いおかげで、ある程度の説明でもなんとな〜くうまいことできちゃうというイメージですね。芸大の学生は基本的にみんな器用なんですよ。

でも、僕が教えるときには、そのへんの細かい部分もなるべく全部教えるようにしたし、僕の教え方は学生にとっては、かなり分かりやすかったと思っています。でも、自分で教えるようになってわかったのは、職人的な技術を誰かに伝えるというのは、本当に難しいし、気力も時間も必要だということなのです。

職人さんの専門分野はものづくりだよね

物事を未経験者に教えるというのは、それだけで専門的な技術を必要とすることです。特に、職人さんの技術はどれもが高度で、その技術に関しての複雑な工程やコツを言葉で教えるというのは、本当に難しいことなのです。

そもそも職人さんの専門分野は「ものづくり」であるはずです。実際に自分で手を動かして、作品や製品を作り出すことです。なので、たとえ日本一の職人さんであったとしても、「教えるという技術」に関しては日本一ではないでしょう。「教える技術」と「物を作り出す技術」は、まるっきり別物ですからね・・・。

もっと言うと、職人さんと言うのは、基本的に無口な人が多いです。やはり、職人さんのすごいところは、黙々と他の人が出来ないような内容の作業をすることできるという能力なのでしょうね。したがって、寡黙で渋くてかっこいいおじさまという印象の人が多いです。

そんな人が、ちゃんと物を教えることができるかというと、無理な話なのです。特に自分とは世代の違う人間に物事を説明するというのは、ものすごいコミュニケーション能力を必要とするからです。しかも、内容的には高度な技術を教えなくちゃならないわけですから、それは無理な注文というものなのですよね。

職人は教育の専門家ではないのですから。

俺は教えない、でも「技を盗む」のは自由だ!

そんなわけで、職人さんが弟子に言う言葉の定番として「技を盗め」というものが誕生してしまったのではないでしょうか?

これ、誤解があってはいけないのですが、決して悪いことばかりではありません。難しい技術だからこそ、師匠の動きをできる範囲で真似つつ自分で考えながら手を動かすことで、体に技術を染み込ませるように覚えることができるからです。下手に言葉で教えるよりも、職人さん自身も自分の仕事もあって忙しいわけですから、自分で考えさせて覚えさせた方が効率的というわけですね。

僕も経験あるのですが、反復練習をして数をこなさないと、絶対にその技術と言うのは身につかないものですからね。「理屈がわかっている」というだけでは、職人技を習得することは出来ないのです。

そこで、生み出された言葉が「技を盗め」というものなのではないでしょうか。それが、教育のプロではない職人という人種の、最良の職人育成法だったのではないかと思います。

今の時代にはそぐわないやり方

ところが、このやり方って、今の時代にはそぐわないやり方ではあると思うのです。なぜなら、このやり方で人を育てるには、非常に多くの時間が必要だからです。

というのも、今の時代というのは、変化のスピードだとかいろんなものの動きが早すぎるのですよ!昔だったら、10年位の修行で職人として活躍できれば良かったものが、3年・・・もしくは1〜2年位でちゃんとできるようにならないとならなかったりします。

この10年程の間に、世の中の誰もが当時は存在しなかった「スマホ」を持つようになったくらいの変化が、10年の修行のうちに起こってしまうかもしれないと考えると、それだけの期間を費やすことは得策ではないように思えてしまいます。その仕事の需要が消滅してしまう恐れもあるわけですからね。そうなると、職人になりたがる人が少ないのも仕方のない話と言えます。

僕が大学で学生の面倒を見ていた時も、しっかりとわかりやすく詳細に教えると、当然ですが学生の覚えも早かったです。やはり、早期育成を目指すためにはちゃんとした教育を施すことが大事なのですよ。それは、職人芸的な伝統技術でも同じことです。

まとめ

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18世紀に起こった産業革命以降の技術の進歩によって、かつての手工業というものは、相当に多くの業種がなくなったり衰退したりしたそうです。それでも、今なお「職人」という存在が残っている理由は機械で真似できないくらいに高度な技術があるからです。けれども、今後さらに技術が発展することによって、現在残っている腕の良い職人さんもどうなるかわかったものではありませんよね。

職人を志す人というのも、非常に少なくなっていると聞きます。これは、職人さんになるためには多くの時間が必要だったりとか、将来の展望が見えにくいからというのが原因でしょう。

また、「技を盗め」という抽象的な教育法も、今の若い人にとっては馴染みにくいものなのかもしれません。

僕は現在は、職人でもないし、教師でもありませんが、無関係というわけでもない話なのです。どんなジャンルの職人さんであっても、素晴らしい技術を持っている方は尊敬しているし、その技術が絶えてしまうというのは、非常に悲しいことだと思います。

実際のところ、知り合いのとある職人さんも後継者がいないということを、以前飲みに行った時に話していました。そうなると、代々続いてきた貴重な仕事だけれども、その方の代で終わりということになってしまいます。

手作業でものを作る職人さんが少なくなっているのは、「時代の流れだから仕方ない」と言うことは簡単です。しかし、「技を盗め」という教育法も(これも仕方のない事とはいえ)、これを変えることが出来なかったということが衰退の原因の一つなのではないかと思うのです。

まあ、そんなわけなので、技術を教えることは難しいけど、それをしっかりとやることは大事なんだけど、教育の専門家でもない限り難しいことだよね!という話でした。

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