インターネット界隈では、定期的に「著作権違反」とか「パクられた!」というニュースが炎上したり話題になったりするわけですが、クリエイティブな活動をしている人間の端くれとして思うことを書いてみようかと思います。
と言うのも、この手の話題ってのは、ずっと昔からずっと続いてきていてなくならないじゃないですか?基本的に他人の作ったものや考えたものを「パクる」と言うのは「悪い事」であると思うのですけどね・・・ただ、そうとも言いきれないデリケートな部分もあると感じていて、そのうちこの話題について書かなくちゃなと思っておりました。
命がけで作ったものが、他人の著作物、もしくはその一部として発表されてしまうなんてのは理不尽なことです。それは、個人的な感情としては見過ごせない、見過ごしたくないと感じます。
著作権違反に対して罪悪感のない人、つまり平気でパクる人は自分でオリジナルな何かを作ったことがないんじゃないですかねえ・・・
ただ、この話題に関しては、「パクり=全部滅びるべき」と断定できるような単純な問題ではないんですよ。なんでかというと、パクることをだめとわかっていても「無意識にパクってしまう」ことがあるということと、「パクりによる発展もある」ってことなんですよ。
個人的な感情としては他人の作ったものをパクることは悪いことと理解してはいます。しかし、だからこそ非常にモヤモヤっとして気持ちも感じたりするのです。
ちなみに、僕自身は法律関係のことは全くもってよくわかっていないので、「著作権違反」と言うのは、ここではシンプルに「他人の作ったものを盗んで自分のものとしてしまう行為のこと」もしくは「他人の作ったものを盗んで勝手に発表してしまうこと」・・・ということにさせてください。
<目次>
パクる行為は悪ではあるが、不必要であるとは断定できない
まず、「著作権違反」とか「パクる行為」が駄目なことであると言うのは前提です。
個人的にも嫌だし、法律的にもアウトです。
この記事は非常にモヤッとしている僕の解決できていない気持ちを表現したものなんですよ。だから、この記事で言いたいこととして、法律的、倫理的にアウトなパクり行為を助長させる意味合いはないということをご理解ください。
パクりはだめだよ
まず、パクりは悪いことです。
何でかというと、世の中に新しいものを生み出そうというクリエイティブな活動と、それを行っている人を否定する行為だからです。
何かを作るということを本気でやっている人ってのは、命がけなんですよ。僕は、学生時代からずっと美術とか芸術とか言われる世界にいるわけなんだけど、「自分の作品に対して何か否定的なことを言われたら飛び降りたりするんじゃないか?」って言うくらいに常に鬼気迫っている知り合いもいました。作品と呼ばれるものは、自分の分身に等しい存在で、それを認められないというのが、完全なる自己否定であるかのように思えちゃうくらい極端な人もいるんですよ。
「ちょっとメンタル弱すぎるんじゃないの?」と思う人もいるかもしれないけど、それは作品を本気で作ったことがない人のセリフですね。「否定されたら◯ぬ」と言うくらいまで極限な精神状態になる人はさすがに少数ではあるけれども、本気でクリエイティブな活動をしている人で、この気持ちがわからない人はいないでしょう。
完成度の作品の高い作品を生み出すためには、自分自身の能力を鍛えるための膨大な努力と時間が必要なのです。それはどんなジャンルの世界でも同じことです。そして、それだけの労力をかけて自分を鍛えることができると言うのは、それだけでも命がけなんですよ。
そして、そうやって生み出した作品が他人にパクられてしまった結果どうなるかというと、創作する人間がいなくなる、もしくは減ってしまうことに繋がってしまうんですよね。
一生懸命作ったものが無断で他人に使用されたり、自分の作品として発表されたりするなんておかしな話だし、パクりが横行しているところで創作しようなんてのは馬鹿らしいです。
だから、「著作権法」という法律があって、作品と呼ばれるものを作った時点で自動的に著作権が発生して、それが法律で守られるべきものであるとされているのは、非常に素晴らしいことだと思います。
しかし、著作権が完全に守られているとは言えないのが今の状態なのですよね。定期的にその手の話が話題になるわけですから。(それでも、一昔よりは良くなったのかもしれませんが・・・)
ウェブにアップされたら全てフリー素材(!?)
今の情報社会な世の中では、端末を持っていればインターネットを誰でも使用する事ができて非常に便利です。ゆえに「パクりパクられ」の最前線は、誰でもお手軽に閲覧&投稿が可能なインターネットの世界なのではないでしょうか。
そもそも、(ITリテラシーが高い職業ではないという意味で)普通の人は著作権についての意識が低すぎるんですよね。
上記のリンクは、先日話題になっていた、プロのフォトグラファーの方が「写真を無断使用された」ということでとった対応や裁判について書かれている記事です。
これは、マジでびっくりしたんだけど、パクった側は全然悪いことだと認識してないんですよね・・・
以下、口頭弁論での相手方の反論です。
原告の写真を使用したのは事実だが、ネット上でみつけた無料写真であるからB社に落ち度はなく、料金を支払う必要はない。
(写真を無断使用されたので、使用料金をご請求申しあげた件【著作権裁判まとめ】より引用)
Yahooで画像検索して出てきた画像だから自由に使ってもOKだと思ったんだってさ。
ちなみにプロのフォトグラファーの筆者の写真を無断使用したのは、IT関係とかと無縁な業種の岡山県の会社のホームページでの話なのだそうです。
たぶん、世の中の大多数の人は、「著作権なにそれおいしいの?」という状態で、しかも検索で引っかかった画像なんかもフリー素材と同じと思っている・・・これが現実なのかなと感じました。
こういう著作権関係の記事に真っ先にコメントできちゃうような、パソコンとインターネットの大先生方にとっては当たり前な著作権に対する意識も、スマホでスマホゲーしかやらないような一般人にとっては、常識ではないのでしょう。
また、ネットの世界に浸かりすぎて、一般人には認識できない妖怪のような人もいます。
2ch記者とはなんぞ?という感じではあるのですが、とりあえず常人には理解できない思考回路を持っている人も世の中にはいるってことだけはわかりました。
びっくりしちゃうんだけど、ウェブにアップされた時点でそれは自由に使って良いもんだと考えている人も多いということなのでしょう。
ネットに詳しい人も詳しくない人も、ヤバい人はヤバいってことなのでしょうかねえ。
文章も写真も、プロが制作したものでも素人が制作したものでも、著作物です。そして、それは「守られるべきもの」であるはずなのですが、世の中にはいろんな人がいすぎて完全にそれらを守るのは無理ということなのでしょうか。
無意識にパクってしまう
ただし、頭ごなしに完全否定することもできないなあ〜と思うことが2つありまして、その1つは他人の「著作物を無意識のうちにパクってしまうかも」という話です。
これは、ブログなどのネットにアップする内容でもそうだし、その他の作品に関してもそうです。
今の世の中は、作品作りにしたってなんにしたって、いろんな人がいろんなことをやってきた膨大な量の蓄積があります。だから、何か作ろうとしても他人の作品とかぶっちゃうことがあるんですよ。ていうか、かぶらないようにする方が難しいんじゃないかな?
これは、非常に恐ろしいことです。気軽に作品作ったりすると、それだけで大抵の場合、誰かのパクりになってしまうことがありうるんですよ。もちろん、それは偶然ではあるのだけど、世間がどのように見てくれるのかは別問題です。
オリンピックのロゴ問題にしたって、あんなシンプルなデザインだったら、デザインがかぶってしまって無意識にパクっちゃうことはありますよ。(実際のところは知らないけど。)
だから、僕自身はなるべく誰もやらなそうな面倒くさい手法で作品を作っていたりするんだけどね。実は、ここだけの話、新しい作品を作り始める前にはググったりして、他の作家さんとデザインやアイデアがかぶっていないかチェックしたりしています。
それと、このブログでは画像は基本的に自分で作ったり撮影したりしたものを使ったりしていて、著作権に引っかからないように配慮しているつもりです。(画像の引用をするときはたまにあります。)しかし、それでも完璧に著作権を守っているか?と問われたらそれはわかりません。無意識に何かやっちゃっている部分が必ず何処かにあるでしょう。
個人的には、他人の著作物は守られるべきだと思っているし、パクりという行為そのものに嫌悪感を感じることも少なからずあります。
だけど、それにも関わらず、無意識のうちにそれを守れないかも知れないという事故が非常に恐ろしいのです。被害者(傍観者)のつもりでいたらいつの間にか加害者になっていた・・・みたいな事態は避けたいです。
そして、そうやって「偶然の加害者になってしまった人」を、手放しに批判する気持ちにはなれません。
明日は我が身ですから。
パクりがインターネットを発展させた
そしてもう1つは、実は今の世の中ってのは「パクりのおかげで発展しきた部分もあるんじゃないのか?」ということです。
わかりやすいところで言うと、やっぱりインターネットを例に出しちゃうことになるのかな。
例えば、パクリコンテンツが全く存在しないインターネットっておもしろいと思う?ってことなんですよ。
Youtubeにしてもニコニコ動画にしても、大小様々な著作権違反動画のおかげでここまで発展してきたという側面があるかと思います。アニメとかのMADムービーとか、ちょっと前は随分と流行っていたもんね。
2chとかも、著作権違反の巣窟のようなもんですが、それをさらに転載したまとめサイトみたいなものだっておもしろく読めてしまう記事があったりします。ていうか、普通にネットで検索したり、はてなブックマークの人気エントリーを見ているだけでもそういうのが流れてくるし、著作権違反を毛嫌いしている人でも、まとめサイトの記事を見たことない人はいないはず。
また、個人ブログなどでもアイキャッチ的にアニメや漫画の絵を使っている人が結構いますが、あれも著作権的に駄目なはずです。これは、誰とは言わないけど有名なブロガーさんでも、普通に使っちゃってる人もいるんですよね・・・意識低いと言ってしまえばそれまでですが、効果的にアニメキャラのセリフ付き画像などが添えられていて、(良いか悪いかは別として)それはそれで楽しいコンテンツに仕上がっている場合もあります。
どこかの街の「美味しいラーメン屋」を調べるときも、引用画像だけで構成されたようなサイトが引っかかることが多いですね。それはそれで、地域のラーメン屋をまとめてチェックできるメリットがあって便利ではあるのですが、パクりではあるんじゃないの?とは思います。
それらが全てなくなるとなると、ひょっとしたら今のインターネットのコンテンツがほとんどなくなっちゃうんじゃないかな。それだけ、著作権違反コンテンツが溢れているということでもあるんだけど・・・
クリエイターにとっては残酷な話ですが、そういった著作権違反コンテンツが、ここまでインターネットの世界を広げてくれたと言っても過言ではないでしょう。
また、この話はインターネットに限った話ではなくて、他の世界でも同じことが言えるではないでしょうか。簡単にコピペできるデジタルな世界ほどではないかもしれないけどね。
家電製品等の開発や、ファッション系の製品なんかも他社の商品を研究して、それで得た技術やデザインを取り入れて作るということが普通に行われていると聞いたことがあります。そういうのって個人的にはどうなの?って思っちゃうんだけど、全体のレベルの底上げという意味では、必要なことなのかもしれません。
つまり、今のようにネットや世の中が発展した理由は、パクりパクられのおかげだったりする部分も少なからずあるのかな?という気がします。この話はソースがないので想像での話しかできないのですが・・
今の時代はネットの発達で、おおっぴらにそういうことやっちゃうと、すぐにバレちゃうから少なくなっているとは思うのですけどね。
いやまあ、もちろん他人のコンテンツをパクる行為は最悪ではあるんだけど、頭ごなしに「全て滅びろ」とまで言いにくい現実はあるんじゃないかなという話です。
パクりはなくならない
それに、どんなに頑張ってもパクりはなくならないのだろうなあとも思うんですよね。残念なことですが・・・
先程も例にあげたような、ネットリテラシーの極端に低い人や、それが異次元に行ってしまっているようないろんな人が世の中にいるからです。
また、ワールトワイドなインターネットでは、外国の人にパクられる危険性もあります。
上記の記事は、マンドリン奏者の方が、自分の演奏データをレバノンの大手プロダクションにパクられた!という記事です。
レバノンってどこにあるんだっけ?と思って調べてみたら地中海の東側に位置する中東の国、首都はベイルートです。
そんなよくわからん国の人に良識とかそういうことを求めても無駄な気がします。想像ですが、これだけ悪質なことをやっておきながら、おそらくは悪いことだと思ってやっていないのでしょう。
また、相手が見えにくいインターネットでの著作権違反は、被害者の数も多くなってしまい、解決する方法も困難な場合が多いです。
以前、いろんなブログから400記事以上の記事を丸ごと盗用しているサイトを見つけたのですが、これもDMCA申請したくらいで他には何にもできませんでした。このパクりサイトの場合、目的も作った人も謎で、非常に気持ち悪かったです。(現在、このサイトは消えたようです。)
400記事パクリサイトの件は、本気で解決しようとしたらお金も時間も労力もかかるし、割に合いません。
また、キュレーションサイトとかバイラルメディアとかそういうタイプのサイトもよく問題になったりしますよね。
こういった事例がインターネットには大量にあるわけで、それを全部解決できるか?と言ったら、少なくとも個人レベルでは無理だよねということになってしまうでしょう。
著作者に利益が流れる仕組みが必要なのではないか
著作権の話は自分の中でも結論が出てない話で、本来だったらここで話を終わりにしてしまいたいところだけど、それだと救いがないので、最後に「こうなったらいいんじゃないの?」みたいな話を書いてみます。
ここまでに書いてきたように、インターネットの楽しさや便利さはパクリコンテンツのおかげである部分も完全否定できないし、著作権違反コンテンツを滅ぼすことも現状では難しいです。
特に悪質なものに関しては、心情的には全て滅ぼしてしまいたいところだけどそれには時間がかかるでしょう。
それに、細かい部分まで何でもかんでも著作権違反ということで取締りを厳しくするだけでは、息苦しくなるだけのような気がします。
んで、パクりの何がよくないのかというと、著作者に権利と利益が流れていかないということが問題なのですよね。それがないがしろにされると、作るための意欲や環境を破壊されてしまうからです。
そこで思ったのが、パクった人が得られるはずだった広告収益をパクられた人が得られるようなシステムが作れないのかな?ってことです。パクられても自動的に著作者に利益が流れるような仕組みができたらいいんじゃないかな?
僕はその辺りの技術的な話はよくわからないのですが、これは全知全能の神であるGoogleさんにお願いしたいところですね。
例えば、イラストが無断で貼られたらそのページの収益はその絵師へ、漫画のページを貼られたら漫画家と編集社へ、アニメの動画はアニメ製作会社へ、その収益が自動で流れていくのです。そして、パクリ元のURLや作者名も自動で表示されます。
そうすることによって、クリエイターの権利と利益が守られるわけです。
今の時点で、Googleの「画像検索」とかも同じ画像を見つけたりとか、けっこういい感じに使えるレベルにきていると感じるし、人工知能技術とかがもっと発達したら将来的にはできるようになるんじゃないかな?無理かな?
アニメーターの給料が安いということがよく話題になりますが、この仕組みをGoogle先生が作ってくれたら、アニメ製作者さんの給料も増えるかもしれません。
そういう細かいことをするのが無理だったら、やはり全部滅びてしまうのが一番ということになっちゃうのかな。
まとめ
著作権についての問題は、非常にデリケートで複雑な問題であると考えています。
著作権と言うものがないがしろにされる社会は悪です。現代のような発展した技術や文化が持たられたのは、多くの人のクリエイティブな活動によるものだからです。作ったものを作った人が「私が作った」と言うことができるという当たり前の社会でなくては、現代的で文化的であるとはいえないでしょう。
それに、個人的には、他人が一生懸命作ったものを平気でパクっちゃう行為には嫌悪感を感じることもあります。著作者の権利は守られるべきです。
しかしながら、世の中の全てのパクりパクられを無くすことはできないし、細かいパクりまで全部滅びろ!と言い切れない部分があることも否定出来ないのは、先程書いたとおりです。
また、作品を作ったり、ブログを書いたりしている自分自身が無意識にやってしまうこともあるかもしれません。正直言ってこれは、誰もがやってしまう可能性のあることです。
そんなわけで、この問題に関してはものすごくモヤモヤとしている自分がいるんですよねぇ・・・。だから、「著作者に利益が流れる仕組みができればいいよね」と書いたけど、実のところ、それがベストな解決法なのかどうかもわかりません。
許したくない悪質な著作権違反もあって、その作品やコンテンツを作った人の事を考えると胸が痛いです。だけど、頭ごなしに「全て滅びろ!」と言いきってしまうのもなんか違う気がします。それはそれで思考停止してる感じで危険な気がします。
結論がモヤッとした感じになってしまってすいません。
確かなのは、全ての創作者が自由に活動できる時代が来ればいいよね、というただそれだけのことです。