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祖父が亡くなりました

祖父がなくなりました。

実は、先週の木曜日に実家から電話があって、父方の祖父の具合が悪いということを聞きました。次の日には朝一番の電車で大急ぎで実家に帰りました。

一応、まだ生きている間に会うことはできましたが、僕が到着した午前中の時点ですでに意識がなくて話しかけても反応がありませんでした。布団の上に寝て、呼吸だけを苦しそうにしているような状態でした。

そして、2016年12月16日14時56分、たまたまなんだけど僕が祖父の息が止まっているのを最初に見つけました。その後、医師に確認してもらったら「臨終です」とのことでした。

医師が書いてくれた死亡診断書によると、死因は老衰。

少し高血圧なことを除けば、どこかの臓器が特に悪いとか言うことはなかったそうです。全身の機能が徐々に弱まって静かに呼吸だけ止まったような最後であると思いました。非常に静かな最後でした。

大正13年生まれで92歳で亡くなったわけだから、まさに大往生という言葉がふさわしいと思います。

人間の「死」と言うのは、非日常的なものというイメージがありますよね。「死に目に立ち会うなんて」経験は一生にうちにそう何度もあるもんじゃありません。

しかし、人は必ずいつかは死にます。実際のところは、ずっと身近にあるものだと思います。

祖父が亡くなって数日間は、お通夜の準備やら何やらでものすごくバタバタしていて、正直な所、余裕がなくてよくわかんない感じになってました。しかし、お通夜や葬式が終わって実家から自宅に帰ってきて落ち着いてくると、実にいろいろな感情が浮かび上がってきます。

祖父はどんな気持ちでこのような最後を選んだのか?死とは何か?何かできることはなかったのか?自分が死ぬ時はどんな死に方が良いか?

いろんなことを考えています。

祖父の死と思うこと

前回、まだ普通に元気な状態の祖父と会ったのは、夏の暑い日、数ヶ月前に実家に帰ったときのことでした。

その時は、久しぶりに見た僕の顔を見て嬉しかったのか、すごくいろんなことを話していました。

「うちの婆さんは趣味がなくて楽しむことを知らん人だった」

「人生はいろんなことをやって楽しまなくちゃならん」

こんな内容の事を言っていたのが特に印象的でしたね。

僕も祖父が亡くなってから親戚の方の話を聞いて初めて知ったのですが、祖父は思っていたいた以上に多趣味な人だったそうです。

絵画(上手い!)も描くし、料理も上手だし、盆栽もやるし、ギターも弾けるし・・・たぶん僕が知らない趣味が他にもいろいろとあったのではないかと思います。

詳しくは知りませんが、仕事も、八百屋をやったり宝石商をやったりとかいろいろとやっていたそうです。なんかわからんけどすごいよね。関係ない業種でもいろいろとやれるってのは、よっぽどのチャレンジ精神みたいなのがないと難しいんじゃないかな。そういった意味で、祖父はすごい人です。

そういう生き方が祖父の生き方だったということなのでしょう。

また、体力もあって、10年位前?大雪が降った時もうちの父よりも元気に雪かきをしていたそうです。「親父、体力すごかったよなあ・・・」とうちの父が言っていました。

僕も子どもの頃から、「おじいちゃんはとにかくパワーがあって強い!」みたいなイメージでしたね。

僕が物心つく頃には、祖父は祖母と一緒に実家の隣の建物に住んでいました。だから、小さい頃はよく遊んでもらいました。

祖父の奥さん。つまり父方の祖母が亡くなったのは5年前のことです。

その頃には、僕は結婚していて、冬の寒い日にうちの奥さんと一緒に実家に帰ってお通夜と葬式に参列したことを覚えています。

それからは、祖父はずっと1人で暮らしていました。祖母が亡くなってからは、隣に住んでいるうちの父や母が頻繁に様子を見に行っていたそうですけどね。

しかし、1年?2年?正確にいつの頃からかは僕は実家を離れていたので詳しくわかりませんが、ある時から足が悪くなって歩けなくなってしまったそうです。

だから、いろんなことが自分の力だけではできなくなってしまったんですよね。あれだけ力強かった祖父がそのような状態になったと言うのはにわかには信じがたかったですが・・・おそらく本人的にもショックだったのではないかな。

それからは、僕の両親に介護されたり、途中からは訪問介護のサービスを利用したりして、なんとかやってきたそうです。でも、人間ってのは歩けなくなるとどんどん衰弱していってしまうものなのかもしれません。

祖父が亡くなってから、遺体を着替えたりいろいろとさせるところを少し見ましたが、まるで即身仏のようにガリガリに痩せていました。足は太ももの部分まで骨と皮しかないって感じ。

看護師さんが言うには、30キロ台なんじゃないか?とのことです。

イメージ的に筋肉質で体力が自慢だった祖父が変わり果てた姿になってしまったと言う事実は、かなりショックでしたね。どんなに今が元気な人でもこうなることがあるってことなんだよね。

なんだろう・・・その姿にすごくびっくりしたし、怖いとも思ったし、信じられないとも思ったし、うまく言葉にできません。

とにかく今まで自分自身が抱いていた祖父へのイメージとのギャップが大きかった!僕が実家を離れて別のところで生活していて、祖父に会う機会が少なかったせいもあるけど、人間ってのはこうも変わるものなのかと・・・

少なくとも「死」と言うのは、誰にでも必然的に訪れるものだと言うことを感じさせるに十分な光景だったと思いました。

老いて死ぬってのは、こういう事なんだと、なんとなく理解しました。

良かったと思ったのは、特に苦しむことなく眠るように、祖父が逝ったことです。

本当に、スゥ〜っと息だけが止まっただけのように見えました。しかし、顔はほんの数分前と違って真っ白くなって、ピクリとも動かなくなっていました。それを見て「ああ、死んだんだな」とすぐにわかりました。

でもまあ、92年間も生きて、それで老衰で亡くなったのだから、これで良かったんだろうなと。そんなことも思いました。

死とは身近にあるもの

人間の生命としての「死」は想像しているよりもずっと意外と身近にあるものです。

日本では、「死」と言うものが忌み嫌われていて、そりゃあまあ忌み嫌っていて良いのだけど、その存在そのものがタブーになっているような部分があるじゃないですか?

だけど、人は死にます。

どんな人でも必ず通る道、それが「死」です。

しかも、それはいつ訪れるのかはわかりません。だから、祖父のように、老衰で亡くなるなんてのは、本当に運が良いです。大往生はすごいです。

場合によっては、学生時代に事故で亡くなったり、働き盛りのときに病気で亡くなるかもしれないです。ひょっとしたら人生に疲れて自分で死を選ぶ人もいるかもしれません。

いずれにせよ「死」は突然に降り掛かってくるものなのです。

だからこそ「人生はいろんなことをやって楽しまなくちゃならん」という祖父の言葉はすごく真実味があります。今を楽しむこと、そしていつ死んでも悔いがないようにやりたいことはやりたいようにやること。自分自身が納得できるように生きること。そういうのがすごく大事。本当に大事。

死ぬことを考えたら、我慢して今を楽しく幸せに生きれないなんてのはナンセンスです。

そう思うようになったのは、今回の祖父の死だけがきっかけではありません。

祖父の葬式の最中、息子のことを思い出していました。

僕の心の中でまだまだ消化しきれてなくて今まで話題に出せなかったのだけど、実は、僕と僕の奥さんには子どもがいました。すごくかわいい男の子です。

でも、死にました。

まだほんの赤ん坊だったのだけど、病気で亡くなって、この世から消えてしまったのです。

彼はこれから、いろんな楽しいこと嬉しいことをたくさんたくさん経験していくはずでした。そのために本当に本当に頑張っていました。

でも、死んだら何もかも終わりです。この世には骨しか残りません。

「死」という経験は、僕の中ではすごく身近に感じるものです。いや、ここ数年の経験を通してそのように感じるようになりました。

人が死ぬことは悲しいことです。

自分に近い人間であればあるほど、その悲しみは想像を絶するものです。息子が死んでから何年か経ちますが、まだまだ納得しきれていない自分がいるくらいですから。

だからこそ、生きている我々はどうするべきか?悲しんでいるだけで良いのか、冷静に考えたら分かるでしょう。

少し落ち着いたら、自分の好きなことを自分の思うようにやっていくのがいいですよ。

やりたいことをやりたいようにできないのであれば、どうすればそのようにやっていくことができるのかを考えるのです。

それが考えられない状態ならば、少し休みましょう。少し休んで元気になったら動き始めればそれで良いのです。

きっと、そうやって今を生きている人間が幸せを感じながら精一杯生きていくことが、死んだ人達への最大の供養になるではないでしょうか。

もちろん、今関わっている身近にいる人達のことは大切にしながらね。いくら親しい人でも、いつ目の前からいなくなってしまうかわかりませんから。

そんなことを、祖父の死を見て思いました。

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