上記のはてな匿名ダイアリーの記事を読みました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160804205954b.hatena.ne.jp
記事の内容と、記事につけられたブックマークコメントを読んでいろいろとそうだよね〜なるほどな〜っと思ったんですけど、百均でも、家電でも、洋服でも、こんなにも「ダサい」と感じている人が多いにも関わらず、洗練されたデザインがない、もしくは少ないのはなぜか?っていう疑問は、確かにありますよね。
いつも思うんだけど、100均とかに売ってる安っちい商品とかって、カスみたいなデザインだけど、
ああいうのも一応新商品会議とかあって、だれかプロダクトデザイナーとかが入ってデザイン決めてるんだよね?
そういうダサいデザイン専門のデザイナーとかいるのかしら?
なんで日本の製品って本体にベタベタ余計なシール貼るんだろう。
(http://anond.hatelabo.jp/touch/20160804205954より引用)
この件に関しては、この記事のブックマークコメントでもいろいろと書かれているように、デザイナーがそういうデザインをしているという単純な話ではなくて、他にいろいろと原因があると思います。
特に、1人で作るだけの芸術作品ならともかくとして、いろんな人にいろいろと言われたり相談したりしながら作る製品のデザインに関しては仕方のない部分もあったりするのではないかと。
僕はデザイナーではないので、この記事を書こうか迷ったんだけど、この記事とコメントに関しては共感できる部分も多かったです。また、創りだしたもの(製品)のデザインがダサくなるということに関して思いあたることもあります。
なので、簡単にですが、この件について思ったことや感じたことや、ダサくなってしまう理由について思いついたことを書いてみようと思います。
デザインがダサくなる理由
デザインがダサくなる理由、それはデザイナーのレベルが低いと言うのも原因の一つではあるかもしれません。だけど、それはこの問題の根本的な原因ではないと思います。
と言うのも、デザイナーがデザインして、その製品が商品化されるまでには、多くの過程を経なくてはならないはずで、その過程の中で徐々にダサくなる要素が追加されていくからです。
とある企画での話
かなり昔の話になっちゃうんですけど、以前、とある企画の話をいただきまして、(曖昧な表現になっちゃうけど)それが「とある創作物を作る」という内容の仕事でした。
そのお仕事がですね、今思い出しても最悪だったんですよ。
結局、誰かに依頼されて何かを作るってのは、その依頼者の意図に沿ったものを作らなくちゃならないわけです。
まあ、当然の話ではあるのですが、一応その仕事は「アート的な創作物」を作る内容だったんで、こちら側のアーティスティックなアイデアも提示しなくちゃならないわけです。そして、僕自身が考えたアイデアと、あちらの偉い人の意見を聞いたり話し合ったりして、最終的には信じられないくらいにダサい物が出来上がってしまいました。
僕「こんな感じでいかがでしょうか?」
偉い人①「うーん、これじゃあなあ。ちょっと違うんだよねぇ・・・」
僕「(なにが違うんだろ?・・・)」
偉い人②「そうですね・・・それでしたら、ここの所を〇〇したりとかできます?」
僕「えっまあできますけど・・・(まあこんくらいなら、ギリギリダサくはならんだろ)」
偉い人①「あっそれじゃ、こことここも✕✕な感じにしてみるか!」
偉い人②「おお〜それは良いですね!じゃあついでに、△△したらもっと良くなるよね。できるよね?」
僕「・・・はい(なにこれ?)」
内容はすごくフェイク入れてますが、マジでこんな感じでした。当初デザインしたものとは、全く違うものを最終的には作ることになってしまいました。こっちが時間かけて必死で考えて提案したアイデアはほぼ却下ですよ。
今となっては良い思い出ですが、当時は悔しくて吐き気がするくらいに落ち込みました。
でも、誰かに依頼されて何かを作るってこういうことなのだと思います。クライアントの好みや目的に合致していないと却下されるのは当然なことで、それは大抵の場合「ダサい」のです。
そりゃあ、デザインなんかを依頼する人はデザインの素人ですから、デザイナーがデザインしたものの価値が理解できないと言うのも仕方のないことなのかなと・・・
結局は、デザイナーがいくら洗練されたデザインを提示しても、それが会議だとか、打ち合わせとか、そういう場所で通らなければ、そのままの形で世の中に出るなんてことはありえません。
いろんなフィルターを通されて、「最終的にはダサい製品が誕生してしまう」っていうのは、おそらくどこにでもあることなのだと思います。
この件に関しては依頼主の意図を読み取れなかった僕が悪いんですが、僕、デザイナーは無理だな、できないなあ〜と思いましたよ。
コンセプトは1つで
何かのデザインをするとき、そこに含めることができるコンセプトは1つだけです。あれもこれもって感じで、いろんな意見を取り入れて踊らされると、デザインはダサくなるんですよ。
1つのコンセプトを1人のデザイナーが考えて、それをそのまま製品化すれば、それはもうかっこめちゃくちゃ良いデザインの物が出来上がるでしょう。(ちゃんと実力のあるデザイナーだったらの話ですが・・・)
シンプルイズベストという言葉があるけど、非常にわかりやすい考え方だと思います。もちろんそれが全てなわけじゃないけど・・・すご〜くわかりやすく言うと、シンプルデザインの製品はオシャレ感ありますよね?まあ、シンプルデザインで、それがダサくないように見せるのは、実はものすごく難易度が高いことなんだけど・・・まあそういうことです。
ビジュアル的な意味でも、機能的な意味でも、シンプルであればあるほどに、デザインは洗練されたものになっていきます。
だけど、現実問題として、それは難しいです。
1つの製品を作るには、いろんな人の意見が取り入れられてデザインが詰められていくわけなんだけど、その過程で、徐々に当初のデザイナーのコンセプトとは違ったコンセプトも取り入れられていくのだと思います。
複数のコンセプトや設計思想を取り入れてしまうと、その製品の実体が見えなくなったり、曖昧になったり、なくなってしまったりします。そうすると、ごちゃごちゃ感が生まれて、ダサさを感じるようになってしまいます。
コンセプトに一貫性のない商品は、どうやったってダサいんですよ。
まさに、日本の家電製品なんかは、主な例として挙げることができます。
あらゆる顧客のニーズに答えるためなのかよくわかりませんが、とにかく多機能多機能で、ごちゃごちゃっとしたデザイン(見た目も機能的な意味も含まれる)の物が多いです。
万人受けする製品ではあるのかもしれません。様々な年代、性別、趣向の人たちに売らなくちゃならないですから万人受けを狙うのは、納得できる理由です。
いろんな機能がつめ込まれていて、商品としては売れるものなのでしょう。しかし、それがデザイン的に洗練されているかといえばノーと言うことになるでしょう。
はてな匿名ダイアリーの例の記事で挙げられていた100円ショップの製品や、パソコンや炊飯器のメーカーがどのような過程を経てデザインを決定しているのかはわかりませんが、おそらくは僕が経験したのと同じようなことが行われているのではないかと・・・
ダサいものの方が売れる
だけど、例の記事のブックマークコメントでも何人かの方が書いていたけど、世間的にはダサいものの方が好まれるという傾向があるのは間違いないです。
まあ、ちょいダサくらいのデザインの製品の方が安心しますよね。その気持ちはちょっとわかります。
そうなってしまう理由の1つは、日本という国が文化的に成熟していないというのもあると思います。今現在、身の回りに溢れているデザインがごちゃっとしたものばかりなので、今の我々には、そういう「安心感の感じられる絶妙なダサさ」が必要なのでしょう。
かっこ良ければ、商品が売れるってわけでもないですから、「デザイン」という「売れなければ意味が無い世界」においては、ちょいダサくらいを狙うのが正解であるということなのかもしれません。
そういえば、映画のポスターなんかも、海外の物はかっこいいけど、同じ映画が日本に輸入されて再度デザインし直されると、とたんにダサくなったりしますね。でもあれも、今の日本人には必要なことで、あまりにもポスターのデザインが洗練されすぎると、映画のポスターであるという認識ができないんですよ。たぶん。
そうなっちゃうと売れません。「これが映画のポスターである」というアピールをしないと、実際に劇場に足を運んでもらうことはできませんからね。
パソコンに貼ってあるインテルのシールなんかも意味があるんですよ。あれが貼ってあると、大抵の人は「インテル入ってる!」ってことで安心しますもん。
そして、ダサいデザイン(見た目と機能的な意味も含めて)の製品に汎用性があるのは確か。
さっきも書いたけど、「ダサい=コンセプトが曖昧な製品」ということだから、特定の使用方法に限定されないと言うのは確かにあります。良くも悪くも万人受けするってことですね。
ダサい物が身近に溢れているというのが、良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、まあ、現状としてはこんな感じなのではないかと・・・
それみて誰か得するの?
(http://anond.hatelabo.jp/touch/20160804205954より引用)
おそらく、かなりの効果があるんですよ。たぶんね。
まとめ
ちなみに、こういう話題になると必ず出てくるApple製品の話ですが、Appleの製品がかっこいいとされていたのは、ジョブズという絶対的なカリスマ性と有無を言わさない強引さを持ったリーダーがいたからでしょう。
ジョブズさんっていうすごい人が、万人受けを狙わないで、一つの一貫した思想を持って設計&デザインされた製品だから、洗練されたものが生み出されてきたのです。(ゆえに、Apple製品が嫌いな人はとことん嫌いだったりする。)
だけど、最近のAppleは絶対的なリーダーがいないおかげで、複数人のコンセプトが盛り込まれたようなデザインの製品が増えたように思います。最近のAppleのちょっとしたダサさを感じさせるデザインは、その裏でいろんな人のアイデアを取り入れ始めたような匂いのような物を感じます。
正直なところ、ダサすぎて絶望したくなる製品もあって、今後はAppleも変わっていく方向なんだろうなあ〜踊らされ始めたんだなあ〜ということを感じざるを得ません。
日本で売られている多くの製品のデザインは、ちょいダサです。
だけど、それがデザインの仕事として悪いわけじゃなくて、洗練されすぎると一般ウケしなくなって売れなくなるであろうということで、仕方のないことなのだと思います。
また、日本で、洗練されたデザインの製品が生まれにくい理由の1つは、1つのコンセプトを突き通すことができるほどの権力を持っていてかつ、それが売れる物になるほどの実力を持ったデザイナーが、多くの企業にはいないということなのでしょう。
話し合いや、意見を取り入れる事によって、コンセプトが二重三重になってブレてしまった製品はどうしたってダサくなってしまいますから。
今は過渡期なんだと思います。
最近、扇風機を買ったのですが、機能的にも見た目にもシンプルで悪くないなと思いました。ちょっと前までは、そういう製品は全くと言ってよいほどありませんでしたからね。
今現在は、様々な事情から、洗練されたデザインの製品が生まれにくい状況にあると言うことは言えると思います。だけど、今後は徐々にその状況も変わっていくのは?ということも期待したりできる雰囲気はあります。
そんな感じでまとめると、デザインがダサい製品が多い原因の多くはデザイナーのせいではなくて第三者のせい、そして、今現在の日本で売れる商品を作るためにはダサいデザインも必要である、ということが言えるかと思いました。