上記の記事を読みました。
最近だと、躾だとかなんとか言って、山の中に我が子を置き去りにしたりするような痛ましい事件が起きていますが、これはわかりやすい虐待の例だと思います。
だけど、町を歩いていたりとか、スーパーに買物に行ったりするだけでも、それに近いような光景を目の当たりにすることもあります。
「虐待して喜んでるだけのクズ親」というより「限度を超えたヒステリー」と言える。
虐待する親は愛情のかけらも無い鬼畜なのか - 聞きかじり、たれながし
ちなみに更年期障害というわけでもなく、60才過ぎても毎日怒っていた。
虐待する親は愛情のかけらも無い鬼畜なのか - 聞きかじり、たれながし
上記の記事でも「怒り」という感情について触れられていますが、「大人が子どもに怒りをぶつける」なんてことはあってはならないことなんですよ
絶対にダメです。それが「虐待」と断定できる程のレベルでなくとも、あってはならないことです。
何故かと言うと、それがあらゆる方面において悪影響だからです。
第三者の目から見ても非常に見苦しいし、子どもの教育上も最悪です。自分の子どもには、自分ができる限界を超えた愛と、正当な教育を与えるべきです。子どもを育てるというのは、それくらいの気持ちが必要だと思います。
そして、子どもの頃に親からぶつけられた「怒り」という負の感情は、大人になっても忘れないもんなんですよねぇ。
叱るのは教育のためにだけにするべき
人が多い場所に行くと、よく見かけるのが、子どもを叱りつけている親の姿です。
まともな教育のための「お叱り」だったりいいんですよ。だけど、どうも見ていると子どもに対して「怒り」をぶつけているだけとしか思えない親も多く見かけます。
スーパーで言うことを聞かない子どもをバシン!と叩いて、無理やり言うことを聞かせる親を見たこともあります。(ぶたれて大泣きしてた。)
そういうわかりやすいものだけではなくて、「なんでそんなこともできないの!!」「泣くんじゃない!!」「他の人に迷惑でしょ!静かにしなさい!!」と暴力的な言葉で、子どもを脅している場面にも何度も遭遇したことがあります。
けれどもそれは「虐待をしている」とまでは言えないと思います。だけど、問題なのは、そういう親たちは感情のままに「怒り」をぶちまけているだけにしか見えないということです。
「怒り=躾」と、何かの勘違いをしているのかもしれません。
しかし、それだけの物理的、精神的な圧力をかけるという行為は、子どもには絶対に良いことはありません。「躾」と言うのは子どもの教育のために行う行為だと思います。だから、怒りをぶつけるという行為は、躾でもなんでもなくて、ただの憂さ晴らしということになるんですよね。
それに、本当の意味できちんと子どもと信頼関係を築けていれば、子どもはちゃんと親(大人)の言うことを聞いてくれるはずです。それができてないということは、やはり何か原因があるということなんじゃないですかねぇ。
子どもが大人の言うことを聞かないと言うのは、きっと彼らの大人への復讐なんですよ。
怒りの記憶は忘れない
僕は、子どもの頃は特に虐待されたりとかそういうことはなくて、良い両親の元で育つことができたと思います。
まあ、うちの両親は両方共芸術家肌なので、そのおかげで他とは一味違う家庭だったとは思いますけどね。そのせいか、僕も子供時代は変わった子だったので、友達とかも少なかったですよ。
でも、しっかりとした「愛」を受けて育つことができたと思っているので、両親には感謝の言葉もありません。
だけど、そんな僕でも、子どもの頃に親やその他の大人からぶつけられた怒りの記憶だけは鮮明に覚えています。
他の楽しかった記憶とか、嬉しかった記憶は、ほとんど忘れかけているのに、なぜか怒りの記憶だけは消えることはありません。それどころか、大人になった今でも、フラッシュバックのように理不尽に叱られた記憶が突然よみがえることがあります。
怒りや悲しみ等の負の感情は、プラスの感情と比べると残りやすいのです。
それが、自分で勝手に悲しかったり怒ったりしたことだったら良いのです。だけど、それを「親から与えられる」というのが意味がわからない。なんで今になって、そんなことを思い出さなくてはならないのか。また、どうしてそんな理不尽なことをされたのか。大人になってからも、未だに消化できないでいる記憶は誰しもが持っているはずです。
僕みたいに、親からまともな愛情を受けて育った人間でさえも、そういう記憶があるのだから、怒りをぶつけられた記憶を持つ人はものすごく多いと思うんですよね。
大人を信じられない大人になる?
理不尽な怒りをぶつけられた子どもはどうなるのか?
僕は、幼児教育の専門家ではないので、具体的にどんなことが起こるのかはわからないけど、少なくとも良い影響があるとは思えません。絶対に悪影響ですよ。
自分の子どもを「怒りのはけ口」にするような行為。そういうのをたくさん経験しちゃうと、きっと「大人を信じられない大人」になってしまうのではないでしょうかね。
子どもってけっこういろんなことわかってますからね。信頼できる人とそうでない人の区別はつきますよ。そして、すりこみのように大人への信頼感がなくなってしまうと、将来は人のことを信じられないようになったり、どうやって人と付き合ったらわからない大人になったりするかもしれません。
そんな感じで子供の頃から育てていって、大人になってから「この子は私が育てた」みたいな顔するというのもどうかと思いますしね。
叱りつけるときは叱るべきだけど、それはそれが本当に必要なときだけにするべきです。すくなくとも、自分の怒りをそのままぶつけるのはダメですよ。
生まれてくるだけで奇跡の存在
そもそも、皆わかってないんですよ。
子どもというのは、健康に生まれてくるというだけでも奇跡みたいなものなのです。それをわかっていない、もしくは忘れてしまっている人が多すぎるのだと思います。
子どもは「生きている」というだけでも、十分に貴重な存在です。ものすごく尊いものです。
それがわかっているのであれば、理不尽な怒りを子どもにぶつけるなんてことはできないはずです。正直言って、せっかく健康に生まれてきた子どもに対して、怒りをぶつけているような親を見かけると、ものすごく悲しい気持ちになります。
かわいい我が子に対して、なんでそういうことするんだろうと疑問に思います。
ちゃんと生まれてきてくれたというそれだけでも、その存在に対して感謝をすべきだし、きっちりと「子どもを育てる」という責任を果たすべきです。そのためには自分の感情くらいは完璧にコントロールすべきです。
自分の怒りのはけ口として利用するのではなく、教育のために叱るべきだし、それができないとかそう言うことはあってはならないことです。
絶対に。
余裕がない親
と言っても、生活に余裕がないとか、会社がブラックでストレスも疲労もピークだけど子育てもしなくちゃならない、といういう親御さんもいるのだと思います。
「自分自身のことでさえも余裕が無い。だから、どうしても子どもに対して怒りをぶつけてしまう。」
まあね、そういうこともあるよね。
でもさ、それって子どもに関係あるの?ないよね?
職場のイライラとか、夫婦関係のトラブルなんかを、なんにも知らない子どもに見せてしまうのはかわいそうですよ。
子どもは親が疲れていようななんだろうが、すくすくと育っていくものだし、常に周囲のあらゆるものをスポンジのように吸収しているんですよ。だから、大人の理不尽な怒りには敏感に反応するし、理不尽であると言うことも、すぐに理解できます。
だけど、そういう理不尽な親であったとしても、その子にとっては世界で1人の母親であり父親であるのです。小さい子どもにとっては、両親が全てで、他に頼れる人はいないんですよ。
だから、どれだけ理不尽な怒りをぶつけられたとしても、その親に付いて行くしかないのです。大人と違って子どもにはそれ以外の選択肢はないのです。それって、ものすごく不憫だと思うんですよね。
私生活に余裕がないとかそういうことは理由の1つではあるかもしれません。けれども、それを理由にして、子どもに怒りをぶつけて良いというわけではないでしょう。
そうじゃないと、「子どもを愛する」という言葉が非常に薄っぺらく思えてきますよ。
子どもと大人の大きな違いの一つは、理性的であるかどうかです。だからこそ、大人は常に理性的であるべきだし、それができないというのは子どもと変わりないということですね。
まとめ
例の、子どもを山中に置き去りした事件も、詳細はよくわからないけど、大人の理不尽な怒りが招いた不幸な事件だったのでしょうね。本当にひどい話だと思います。
世の中には、いろんな家庭があります。中には、我が子をその手で抱くこともできないような人たちもいるんです。理由はいろいろだけど、そういう夫婦は、町中を歩いている子連れを見るだけでも羨ましいと思うもんですよ。
だからこそ、親と言うのは、「子どもを育てる」という行為に対して全力であたるべきなんですよ。
金銭的なところとか、物理的にどうしようもない部分は仕方ないです。でも、せめて精神的な部分では、絶対的な愛情を与えてあげるべきです。それが、子どもが健康に生まれてくれたことへの、親からの感謝の気持ちだと思います。
子どもに怒りをぶつける親と言うのは、子どもが健康に生まれてきて、適当に放っておけば、適当に大きくなっていくと思っているのでしょうね。そうじゃないと、子どもの尊厳を傷つけるような叱り方ができるはずがありません。
だけど、そうじゃないんです。
子どもが生まれて元気に育ってくれるというのは、それ自体がとんでもなくすごいことなんですよ。
だからこそ、全力で子どもに立派な教育(学校の勉強という意味ではない)を施してあげるべきだし、心に消えない傷を負わせるようなこともあってはならないことです。
もちろん、怒るときは怒ってもいいんだけど、それは正当な教育のために行うべきです。
願わくば、これを読んでくれた人が、少しでも子どもに怒りをぶつけることが減るといいなと思います。