初めましての方は初めまして。病院のベッドから失礼します。
実は、物心ついた頃からずっと患っている慢性的な病が、ここ最近急にひどくなりまして入院しておりました。そのおかげで日常生活を送ることが困難なほどにそわそわした気持ちがいっぱいになって、食事も野菜たっぷりの豚汁をグビグビ飲むくらいしかできませんでした。
しかし、ご覧の通り現在はだいぶ症状が落ち着きました。本日は4月1日、4月2日となる明日には脱兎のごとく病院から退院できるはずです。昨日なんかは、ペヤングの背脂MAX焼きそばを昼食にいただくことができるほど回復しました!
入院生活は大変に過酷なものでした。僕の患っている病気は基本的に薬は効きません。
治療は、主に食事療法がメインでしたが、その食事が大変に恐ろしいというかおぞましいというか・・・とにかく一般人にはキツイものなのです。一部の人にはご褒美かもしれませんけど。
とにかく、一時は病院を脱走したり追手に捕まったりとか、入院生活ではいろいろとありました。特に担当の看護師さんには治療からリバビリ、それに社会勉強から分身の術まで・・・いろいろお世話になりました。
病気を治そうと真剣に取り組んだ闘病生活
この記事では、真剣に治療に向き合って、蕎麦粉とケチャップと明太子が滲んだ入院生活について赤裸々に書き綴っていこうと思います。
発症
とある日のことです。突然体調が悪くなりました。時期的なことを考えても持病が悪化したということはすぐにわかりました。
前日の夜、小皿に醤油をギリギリまで入れる練習をしていて見事に失敗したのが響いたのでしょうか?
・・・
これはまずい!と、すぐに117番に電話しました。
↑そしたら速攻で迎えに来てくれた看護師さん。救急隊員の仕事もやっているのだそうです。ナース服で。
「あなたのようなむさい男にヒッチハイクは無理よ。任せなさい!」と、ヒッチハイクも代わりにやってくれました。
緊急オペ
車に乗せてくれた親切なおじさんの車で手術室まで乗り込み、緊急オペが執行されました。
↑残酷な笑みを浮かべなら見守る看護師さん。この時は、こんなに長くお世話になるとは思いませんでした。
このオペは、火花が飛び散る、大変に危険なオペレーションです。オペ終了後には溶接した時に感じられる特有の鉄とガスが混じったような匂いが部屋中に満ちていました。
担当の看護師さんには、オペ中にずっと「春のオペ祭りまで待てないなんてどうしようもない患者さんね!シールはおあずけよ!!」と隣の部屋から罵声を浴びせられ続けました。
そして、オペは無事に成功。
意識が朦朧としながら最後に聞こえたのは「クククッ!これからが楽しみね…」という担当看護師の不穏な言葉でした。
過酷な入院生活
目が覚めた時。僕は人工呼吸器を装着されていました。
この時からが地獄の入院生活の始まりです。
入院した病院は都内某所にあるとされていなくもない「市立半場具病院」です。
入院生活とその治療は想像以上に過酷でした。特に食事に関しては、今でもトラウマです。思い出す度に看護師さんの作り笑顔を思い出してゾッとしてしまいます。
治療は食事療法がメインです。いろんなものを、手を変え品を変えいろんな食べ方で食べさせられます。それがこの病気の唯一の治療法なのだそうです。
特に、鶏生肉の踊り食いはきつかったです。
鶏の生肉に含まれるタンパク質っぽい物質が理想的な筋肉を作るためには非常に有効なのだそうです。(特別な方法で処理しているので食中毒は心配ないそうです。)
↑「そのままかじりつくと食べにくいだろうから・・・」と言いながら。一口サイズにカットした鶏肉を串に刺してくれる看護師さん。
「炭火で焼くと美味しいのよね。」と言いながら生肉を食わせようとするのは正直言ってひどいと思いました。
↑また明太子に含まれるアミノコラーゲン的な物質がプリン体がたっぷりですごいのだとか・・・
「自分の力で取らないと意味がないのよ。ほしければ奪い取ってみなさい!」
挑発的な言葉を浴びせられつつも、HUNTERXHUNTERのゴトーのような看護師さんの素早い動きにはついていけませんでした。
あまりにも理不尽な治療行為に「もう嫌だ!」と思って食事を拒否していたら、看護師さんにオムライスを口と鼻の中にねじ込まれました。
「食べないと良くならないわよ」と、手慣れた様子で効率よく僕の顔全体をケチャップまみれにする看護師さんの表情に全く変化がなかったのが印象的でした。
この時の鼻の穴にケチャップライスとオムレツが侵入してくる苦痛は一生忘れられそうにありません。
この時は「ひどすぎる」と思っていましたが、あとで知ったのですが、とある国ではオムライスを口と鼻から摂取するとあらゆる病気が治るという伝承があるような気がするそうです。
全く知りませんでした。
あえて憎まれ役を買ってくれた看護師さんの優しさに涙しました。
脱走
ある日、あまりにも過酷な入院生活に嫌気がさして魔が差して、病院を脱走してしまいました。
決死の覚悟で必死に走って逃げる僕。
しかし、追手として放たれた看護師さんにあっという間に追いつかれてしまいました。
「この場でオペってやろうか?」といつもとは違った口調と、手に持った刃物で脅しをかけてくる看護師さん。圧倒的な存在感に気圧されました。
医師免許を持たない人にオペられたくありません。また、こんな場所では衛生的にもよろしくないと思ったので観念しました。
「素人にしてはなかなかね・・・私から10分間も逃げることができたのはあなたが初めてよ。ところでどうして逃げたの?」と相変わらずの天使の笑顔を貼り付けながら問いかけてくる看護師。
「食事がつらくて逃げました。」と白状すると、看護師さんがおもむろに懐からハムとナイフを取り出しました。
「ほら見て、怖くないのよ。」と、河川敷の直ぐ側のトンネルでハムの塊にかぶりつく看護師さんの姿は恐怖の具現化そのものでしたが、その姿がプロ相手では逃亡は無理であるということも如実に物語っていました。
「怖くない。」
目の前が真っ暗になりました。
そのままおとなしくなった僕は病院に連行され、気づいた時は病室のベッドの上でした。
リハビリ
脱走騒ぎあった日からは、ふりかけを投げつけられたり、タバスコの匂いを鼻から一気に吸引する等の過酷な治療にも真面目に取り組みました。
そのおかげもあって、徐々に病状は改善していきました。
そこで、退院に向けて、この時期からは治療と同時にリハビリも同時に行いました。
↑これは、「すぐそばでそば打ちをしていても、気づかないふりをする訓練」です。なんでも、急に街に出て、悪質なキャッチセールスに捕まらないようにするためのリハビリなのだそうです。
↑これは、「女の子を家に泊めたときの対応に関する訓練」だそうです。間違っても、女性を床に寝かしてはいけないのだそうです。社会生活を送る上でのリハビリというわけですね。
一度、リハビリ中にうっかりベッドに潜り込もうとしたら、「おしおき」ということでスマホを肘鉄で破壊されたので、もうやりません。
看護師さんの容赦ないリハビリを受け続けてしばらくすると、そのおかげでかなり動けるようになりました。
「残像だ」という言葉をリアルで吐くことができる日が来るとは思いませんでした。
「もうわしが教えることは何もない。」と看護師さんが言ってくれました。今までの過酷な治療とリハビリは全てこのためだったのです。
ちなみに関係ないけど、足は先日脱走して捕まったときに、看護師さんにぶち折られてしまいました。
退院
いよいよ明日、退院です。
いろいろあったけど、看護師さんには本当にお世話になりました。時には冷酷に、特には鬼畜にいろいろしてくれた看護師さんには、正直なところ感謝の言葉は言いにくいです。
偶然病室で一緒だった、世界的に有名なアーティストの方々と知り合いになれたのは、僕にとって一生の宝ものです。
ありがとう・・・みんな!!
明日からは健康で穏やかな普通の日常に戻れそうです。
まとめ
以上が、僕が体験した入院生活の様子でした。
ちなみに、僕が患っている病気の名前は「慢性エイプリルフル症候群」と言います。
この時期になると、日本人の約80%が羅患すると言われているかもしれない国民病の1つです。
おそらく一生付き合っていくことになる病ではありますが、やっとのことでムラムラする気持ちを発散することができて良かったです。
※この物語はフィクションです。登場する人物や団体や医療技術等は全て架空のものです。また、この記事で使用した画像は全て下記のサイトのものを使わせていただきました。