昨日、東京芸大の卒展に行ってきました。
僕が芸大で助手をしていた時代に面倒を見ていた学生も何人か出品していたので、なんだか懐かしい気持ちになりましたよ。みんな(良い意味で)変わってないなあ〜って感じ。
ちなみに、昨日はカメラを家にうっかり忘れてしまったので、卒展のポスターの写真くらいしか撮ることが出来ませんでした。まあ、勝手に作品を撮ってブログに載せちゃうのも良くないと思うしね。
卒展の作品って、そんなにレベルが高いわけじゃないのだけど、各々の学生が全力で制作した作品を見ることができるので、すごく刺激になるのですよね。時間が限られていたのであまりゆっくりできなかったけど、久しぶりに楽しかったです。
自分自身が卒展に出品していた時代のことを思い出しましたよ。
(第64回 東京芸術大学の卒業制作展は本日の昼まででした。すでに会期が終わってますので、間違って行かないようにご注意ください。)
卒業制作で全力で作品を作るということを学んだ
僕は、学生時代、東京芸大の工芸科で彫金を専攻していました。学部卒業が2008年、大学院卒業が2010年です。
やっぱりね、当時は自分自身もすごく未熟な部分が今よりも多くて、必死で頑張ったとしても大した作品は作ることが出来ないのですよね。それでも、全力で頑張って作品を作るのだけど、結局のところ納得のいく作品なんて作ることは出来ませんでした。
どんなに完璧を目指しても、必ず突っ込みどころがあるようなかんじですね。だから、学部卒業時の卒業制作も、大学院修了時の修了制作も、僕にとってはあまり良い思い出ではありません。作品完成時に自分の作品を眺めながら、めちゃくちゃへこみましたからね。
でもまあ、卒業制作の作品を作ってよかったのは、そうやって全力で作品制作に取り組むという姿勢を学ぶことが出来たという点ですね。そういう意味では、卒制を作ったという経験は、その後の自分の作品制作への影響は非常に大きかったと思っています。
微妙な作品だった
↑ちなみに、これが僕の学部卒業時の作品です。タイトル『芽花』。
芽花と書いて「メカ」と読むという、ダジャレ作品です。
↑これは修了制作作品です。タイトルは『進花思草…』。
これも、ダジャレです。「植物が進化しちゃったよ」みたいな感じ。
(タイトルはこれで良いのだけど、それとは別の意味で)もうちょっと上手くやれたんじゃないかなと、今でも時を戻して作り直したい作品たちです。当時は学生時代の集大成の作品なのに、上手くいかなかったということに対して本気で悩みました。
もちろん、今でも作品を作って反省することは多いですけどね。学生時代と現在では、作品のスタイルも考え方もかなり変わったので、ダメな部分を素直に受け入れることもできるようになりました。まあ、当時は僕も若かったということです。
展示スペースが限られている
それと、卒展では、1人に割り当てられた展示スペースがすごく狭い場合があるのですよね。特に、僕の大学院修了時は大学美術館の地下での展示だったのですけど、やばかったですね。
芸大では、展示をするスペースは科ごとに振り分けられています。展示作品のサイズや、使っている素材によっては特別な場所(屋外など)に振り分けられることもあります。彫刻科や油絵科なんかは一部屋もらえることもあります。(正直羨ましい。)
けれども、大学美術館の地下と言うのはすっごく混雑しているのですよね。だから、どうしたって空間を美しく演出することなんて出来ないのです。光の当て方なんかも、その場の全部の作品がそれなりに見えるようにしなくちゃならないから、微妙な感じになっちゃうしね。
だから、作品を、割り当てられた場所に配置して、自分の作品を観た瞬間は今でも忘れられません。すっごい微妙でした。落ち込みました。もちろん、そういう場所での最適な展示方法を判断できなかった自分自身の責任なのですけどね。
卒展と言うのは、個人的には、なにかと思い出したくない思い出が多いのですよね。
勉強になった
でも、卒展に参加できてよかったなあと思っていますよ。卒業制作と修了制作を作ったことで、何でも作ることができるぞ!という自信にはなりましたからね。それが大学で勉強できた大きな収穫の一つだったような気がします。
学生時代と言うのは、今とは違って、最も作品制作に打ち込むことができる時期なのですよね。バイトやその他の用事がない日は、基本的に毎日朝から晩まで作品を作り続けていました。
特に、卒業制作を作る期間(10月後半〜1月初旬くらいまで)は全てを作品制作に費やすような気持ちで作業をしていました。そうしないと、とてもじゃないけど終わりません。その学生の能力で作ることができる限界くらいの制作難易度の作品を作ることを、要求されるのからです。
だから、卒展に出品する作品が出来上がった頃には、作品の善し悪しは別として、その学生のレベルは確実に上昇しているのです。もちろん、個人差はあるのですけどね。限界まで修行してパワーアップするサイヤ人みたいなイメージです。
作品自体は、今となっては、とてもじゃないけど人様に見せられるようなレベルのものではありません。けれども、この時に全力を出して作品制作に取り組んだという経験がなければ、今の自分はなかったでしょう。
卒業制作展に作品を出すというのは、学生にとってはものすごく勉強になることなのですよ。
刺激になるよ
僕の所属していた研究室では、教授や講師や助手が、かなりみっちりと学生の面倒を見るのです。特殊な技術を使ってものづくりをしなくちゃならない分野だったので、美術系の中でもちょっと変わっている所でした。学生によっては、つきっきりで見てあげなくちゃならない場合もあります。僕が芸大で助手をしていたのは2年間だけなのだけど、その当時も担当していた学生たちはすっごく頑張っていました。
もちろん、個人の能力の差はあるのだけど、その中で全力を尽くす!という感じです。頑張らない学生なんて、僕の知り合いにはいませんでした。
自分自身に経験も含めて、頑張っている姿を見てきたからでしょうか、卒業制作展に行くと、刺激になるのですよね。
もちろん、レベルの高い作品は少ないのですけどね。「これは凄い!」と感動的な作品もあるにはあるのですが、稀です。どんなに優秀な学生でも、卒展でうまくいくことは非常に難しいのです。仕方ないことなのですけどね。まあ、展示スペースの制限とかもあるしね。
でも、そんなことは問題ではありません。なぜなら、卒業制作を作る目的というものが、そこにはないからです。自分自身の独自の世界観の表現を確立していくのは卒業後で十分なのですよね。そうでないと、逆に頭が固くなってしまうかもしれません。
「この作品ステキだわ!」とか「こういう作品嫌い!」とかそんな感じで、作品そのものに対してのツッコミを入れながら、展示を観ていくのもおもしろいとは思います。
けれども、「その学生がどんな思いで、その作品を作ったのかな?」という制作の背景を想像しながら観ると、また違った趣があって楽しく作品を観ていくことができますよ。
まとめ
久しぶりに、上野に行ったので、ちょっと緊張しました。たまたま卒展の会場に来ていた友人とも会えたりしたのですけど、それも含めて楽しかったです。
卒展の会場は東京都美術館と東京芸術大学の構内です。非常に多くの作品が点在しているので、全部を見て回ることは今回は出来ませんでした。けれども、在学当時の自分を思い出しながら、刺激を受けながら作品を観ることが出来たと思います。
作品の見かたと言うのは人それぞれです。卒業制作展を、美術館の巨匠の作品を鑑賞するような感覚で観る人もいるだろうし、美大を目指している高校生なんかは勉強するつもりで会場を訪れるのかもしれません。
僕の場合は、なんだか懐かしい!という気分で卒展会場を観て回りましたよ。それぞれがみんな頑張っているなあ〜ということがひしひしと伝わってくるので、卒展は良いものです。色んな意味で懐かしいし、刺激になります。
うちの奥さんも芸大卒なのだけど、その妻の言葉を借りるならば、卒展の作品の殆どは「青臭い作品」です。若くてエネルギッシュではあるけど、なんだか空回りしているような・・・そんな感じ。でも、そういうものなのですよね。
作品自体の完成度も大事だけど、学生時代をどうやって過ごしたか?ということが、卒業後はそれが大きな影響力を持つようになってきます。
大学時代に教えてもらったことは、技術的なことを除いてほとんどないのだけれど、自分自身で学んだことはかなり多かったです。卒展を会場を歩きながら、そんなことを思い出しました。