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MIKINOTE

作品制作とその他思った事を書くブログ

伝統的な工芸素材や造形素材以外の素材を使用した作品はアートとなりうるのか?

作品制作 アートと美術の知識

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先日の展覧会の最終日に、アーティストトークということで、一時間程いろいろと話しました。

アーティストトークのタイトルは「素材とアートとその意味」という、かなり硬い感じのタイトルをつけてしまったのですが、内容的には簡単に言うと「伝統的な工芸素材や造形素材以外の素材を使用した作品はアートとなりうるのか?」というようなことが主題となっております。

僕自身、学生時代に工芸科に所属していて、その中で「アートを制作したいのにうまくいかない!」というジレンマのようなものを強く感じていた時期がありました。そして、その時に感じたことや、それを解決するためにどのような考え方をしてきたのか?というのが、今回のアーティストトークの大筋です。

今回の展覧会「LOVE THE MATERIAL in AOYAMA」は、素材(マテリアル)をテーマにした展覧会です。なので、展示をしたり見たりしてみて感じたことと、自分の制作を関連させた話をしました。

かなりマニアックな内容なので、分かる人にしか共感してもらえないかもしれません。

それで展覧会のトリということもあって、しっかりと話をしたかったので、プロジェクターで使用する画像と、かなり長文の原稿を用意していったんですよね。

なので、せっかくなので、その原稿をこのブログにも載せて紹介したいと思います。(ブログ記事用に改変した箇所も少しありますが、ほとんどそのまんまの内容です。)

<目次>

三木崇行「素材とアートとその意味」

「LOVE THE MATERIAL in AOYAMA」2016年6月25日(土)のアーティストトークの原稿です。

ちなみに途中で挿入されている画像は、展示会場で実際にプロジェクターを使用して映した画像です。

↓↓以下、話した内容です↓↓

1.あいさつ

こんにちわ。三木と言います。

この度は「LOVE THE MATERIAL in AOYAMA」の最終日に来ていただいてありがとうございます。実は、僕のアーティストトークはこの展覧会のトリをやってくれと言われてしまいまして、何を話そうかすごく悩みました。

時間的にも40分から60分くらいの時間でやってくれと言われていまして、時間的にもけっこう余裕があります。

アーティストトークと言うと、普通だと作家の作品や制作風景の紹介をするものだと思うのですけども、それだと時間が余ってしまうかもしれないので、今回の展覧会のテーマである「素材を使用したアート」つまり「マテリアルアート」と呼ばれるようなタイプのアート作品について、思うことなども一緒に話していこうと思います。

僕自身も作品制作をしていく中で、いろいろなことを考えたり悩んだりするのですが、これから話す内容はそういうのと関連して、非常に重要であると考えている内容です。

僕は、学生時代は東京芸大の工芸科の彫金研究室という所に所属していたのですが、当時からいろいろなことを悩みながら作品作りをしてきたんですよ。その辺りの話なども同時に話していきます。

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ちなみに、このアーティストトークのタイトルは、「素材とアートとその意味」というタイトルです。ちょっと長くなってしまうかもしれませんが、できるだけ急いで話をしていきますので、よろしくお願いします。

2.出品作品の紹介

この展覧会で出品している作品は、2点です。

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皆さんが座っている席のすぐ後ろ辺りにあるのですが、頭蓋骨と肺をモチーフにした作品ですね。タイトルは「iPSパーツ〜肺」と「iPSパーツ〜頭蓋骨」といいます。

この作品タイトルは「再生医療」という、新しい医療分野で現在期待されている「iPS細胞」にちなんだものです。

これ、どんな素材で作ってあるかというと、「電子パーツ」を一個一個ピンセットでつまみながらハンダ付けして作るという、かなりマニアックな手法で作ってあります。

簡単ですが、頭蓋骨の方の作品の作業工程をざざっと紹介していきます。

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こういう道具を使います。

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まず、抵抗の余分な足の部分を曲げたり切ったりして、形を整えます。

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で、後はひたすらハンダ付けをして、部品を1つずつくっつけていく作業の繰り返しです。

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彫刻や塑像をするようなイメージで、徐々に完成度を上げていきます。

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こんな感じで、完成です。

電子パーツの抵抗だとかコンデンサという部品を、細胞みたいに1つずつくっつけていって、立体作品として仕上げていくような感じのイメージです。

一応、今回出品した作品のものではないですが、作業の風景を撮影した動画もあります。

電子パーツをハンダ付けして猫の立体作品を作るよ!その1 - YouTube

動画は、ずっと観てると眠くなっちゃうので、このくらい(1分くらい)にしときましょう。見てもらうとわかると思うけど、すっごい地味な作業を延々と繰り返す制作方法の作品ですね。

例えば、頭蓋骨の方で言うと、使用した「抵抗」と呼ばれる電子パーツの数は5500個です。制作期間は2ヶ月くらいかかりました。

この作品は実は2年程前に作ったものだったりするんですけど、けっこう大変でした。

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ちなみに、この「iPSパーツ」というタイトルをつけた作品シリーズは、「眼球」や「手」なんかもあります。

そのうちに、他の臓器だとか、いろいろと作っていきたいとは思っています。そのうちね。

3.出品作品のコンセプト

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コンセプト的には、「量産可能な電子パーツ」という部品を使用して、「人間の体のパーツ」を細胞的なイメージで作りあげることによって、人間の体と命と健康の尊さを対比的に表した・・・というのがこの作品シリーズです。

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また、電子パーツと言うのは、パソコンやその他の電子機器の内部で、いわゆる電子基板などに取り付けて使用されている材料でもあります。その電子パーツを使用することによって、「デジタル」的な世界観もイメージさせることもできたりします。つまり、人間の臓器や頭蓋骨等の有機的でかけがえのない存在と、コピペすることで簡単に複製が可能なデジタルデータなどとの対比も感じ取ることができたりします。

簡単な説明ですが、それがこの「iPSパーツ」シリーズのコンセプトです。

4.その他の電子パーツの作品紹介

実は、僕の作品の中には、人体をモチーフにした電子パーツ系作品だけではなくて、それとは別で生き物っぽいようなシリーズもあります。せっかくなので、その辺りの作品もざざっと紹介していきます。

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↑これらは真空管を頭部にくっつけたシリーズですね。iPSパーツシリーズとは違って、けっこう自由にいろんな種類の部品を使用して制作してあります。人体シリーズよりもカラフルなかんじですね。

これは、もうちょっと、いろんな電子パーツの種類を自由に使って作業してみようと思って作った作品群だったりします。

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これは「電脳マラリア蚊」というタイトルの作品です。これは、イメージ的には電子世界に潜む架空の生物みたいな作品で、ちょっとわかりにくいかもしれないけど、プーンと飛び回って血を吸う「蚊」と「脳みそ」をモチーフに作った作品です。

電脳世界を飛び回って、針のような器官でネット上の情報を吸収して、伝染病のように情報を媒介する存在・・・というようなテーマです。今の時代、SNSなどが発達して、場合によっては、情報がものすごい勢いで拡散してしまうこともあります。すごいおもしろい時代になったとは思うのだけど、それが、場合によっては炎上してしまったりとかして、ちょっとした痒みだとか痛みを伴う場合もあったりします。

まさに蚊みたいな感じですよね。たまに大やけどすることもあるかもしれないけどね。

・・・そういった、生き物のように流動的な情報の流れを裏で暗躍して操っている存在が、この電脳マラリア蚊みたいな生き物なんじゃないか?というのが、この作品のイメージですね。


最近の作品の紹介は以上のような感じです。最近は、ここまでに見せてきたような電子パーツをメインの素材として使用する作品を作って制作活動をしています。

5.過去の作品と、専門としていた素材

実は、今回の展覧会の出品作品の中だと、僕が使っている制作の素材はかなり異質なものです。世界的に見ても、あんまり同じようなことをやっている人は・・・一応いると言えばいるんだけど、少ないと思います。

で、今現在はこういうような制作スタイルで制作をしているわけなのだけど、学生時代は全然違った制作方法の作品を作っていました。

最初にもチョロっと言ったけど、東京芸大の工芸科、彫金研究室に所属していたので、彫金の伝統技法を使った作品を毎日作っていたんですよね。学生時代の作品なのですごく恥ずかしいけど、いくつか紹介していきます。

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↑これは、すごく恥ずかしいのだけど、大学2年の時に作った作品・・・という練習課題で、彫金の基礎技法を習得するための手板ですね。

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↑課題制作の金属の象嵌の技法で作った箱です。ロボットっぽい箱なので「ロボックス」というタイトルでした。

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↑これも、大学3年の時に作った基礎課題作品で、一応リング(指輪)ですね。ムシリングというタイトルなんだけど、本当はゴキブリングというタイトルにしたかったんだけど、リアルすぎるのでやめました。

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↑これは卒業制作で、かなり大きめな作品です。こういうのも作りました。

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大学院に入ってからはよくわからない謎な生きものっぽい作品を、金属で作るような制作スタイルに変化していきました。

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↑これはどんぐりみたいな作品なのだけど、内側が空洞になっていて下部分に重りが入っていて、自立するんですよ。なので「ひとりでたてるもん!」というタイトルをつけた作品です。ちなみに、毛みたいに見える部分は、全部タガネで一本一本彫って表現しています。作るのは、けっこう大変でした。

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大学院最後の修了制作では、今までの集大成ということ、こんな感じの作品を作りました。全部金属でできていて、先ほどのどんぐりみたいに、1個1個にタガネなどを使ってテクスチャーとかが彫ってあったりして、それまでに研究してきた技法だとかテクニックだとかを全部使ったような作品ですね。

とまあそんな感じで、学生時代は完全に金属工芸の技術を使ったよくわからないアートっぽい作品を作っていたような制作をしていました。

6.学生時代に感じた違和感

ここまでに紹介した作品を見てもらったらわかると思うけど、学生時代はある意味でめちゃくちゃ真面目に、「金属」を素材として使って制作をしていたんですよ。彫金の技術的なものも、次第に慣れていって、思った通りに思ったようなものを作ることができるようになりました。

だけど、学年が上がるにつれて違和感のようなものを感じるようにもなってきました。

なんというか、金属という「素材」と、自分のやりたい「アート的な表現」とのギャップのようなものを感じるようにもなってしまったんですね。彫金に入った最初の頃は、ただ何も考えずに技術習得のための練習をしていればそれで良かったんだけど、素材と技術と表現というものを真剣に考え始めていくと、非常に難しい!ということに少しずつ気づいていきました。

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そもそも、アート作品というものには、コンセプトやテーマと呼ばれるようなものは、一つの作品につき、一つだけしか与えることはできません。

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しかし、例えば金属で作品を作ったとすると、「金属で作った」ということでそのものがコンセプトになりうるようなくらいに、大きな存在となってしまうというわけです。

素材の存在感が大きすぎてしまうのが問題です。

何か作ったとしても、見る人の興味は、「どうやって作ったのか?」というところに集中してしまう場合が多いです。金属をはじめとする多くの特殊な素材は、それを扱うという行為そのものが非常に難しいことです。

何か適当な物を作るという、それだけで、ものすごく高度なテクニックを要求されます。

だから、それを「アートとして仕上げる」ということを考えたときに、「素材」とそれを「加工する技術」の存在は、作品に内包される「コンセプト」の存在に対して、とてつもなく大きすぎてしまう場合があるというわけです。

これは、すべてのマテリアルアートに共通する解決しなくてはならない問題であると思います。

その点、通常のよくある素材で制作された作品は、素材の存在を気にする必要はありません。

例えば、油絵で描いた絵だったら、その制作方法よりもそこに描かれているモチーフに興味がいくものですよね。例えば、ピカソが描いた油絵作品とかは、どうやって描いたか?ということよりも、どうして描いたか?ということが気になるもんです。セザンヌでもモネでもゴッホでも誰の作品を思い浮かべてもらっても良いのですが、技法よりも、その絵画を描くためにどのような気持ちで描いて、その絵にどのような意味があるのか?ということを考えるのが普通でしょう。

でも、作品制作の素材として特殊な工芸素材を使用した場合には、その制作方法が気になってしまう場合も多いのです。というか、制作方法のみが気になってしまうくらいですよね。

それが、今回の展覧会のように「素材」をテーマにしたアートの難しいところであると思います。

7.用と美

今回の展覧会では、彫刻系の素材と技術を使用している作家さんもいらっしゃいますが、僕は工芸系の学科を卒業した人間だから、ついつい工芸系の素材を使った作品について考えてしまうことが多いです。

なので、ここからの話は工芸系の素材が中心になってしまう傾向があるのですが、そこのところはご了承ください。

・・・そもそも、金属だとか陶芸だとか漆だとかガラスだとかの工芸素材や技法というのは、工芸品を作るためのものだったんですよ。

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「用と美」もしくは「用の美」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

これは、元々は柳宗達(やなぎむねよし)が言った言葉なのだそうだけど・・・えーと、僕自身は大学時代に彫金の名誉教授の堀口先生という方に教えてもらった言葉です。これは美術工芸作品の価値と、そのあり方を端的に示す良い言葉だと思うんですよね。

まあ、あまり難しいことを言うと僕自身があまり良くわかってないことがバレてしまうので、誤解を恐れずにめっちゃくちゃ簡単に言ってしまうと、「工芸品は用途と美しさが共存していてそのバランスが大事なんだよ〜」ってことです。たぶん。

「用」、つまり使いやすさだとか使い道、それと「美」。これは見た目的な洗練された美しさ、この両方があって、初めて美術工芸品として成立するってことなんですよね。どっちかがすごくてもどちらかが欠けていると、それは優れた作品であるとは言えません。

んで、そうした工芸品を作るための素材として、彫金、漆芸、陶芸、木工芸、染織等の、工芸素材と技術というのは、最適だったということなんですよ。伝統的に何百年と伝えられてきた、技法と素材なわけですから、「用と美」という二つの要素を満たすという意味で非常に有利だったというわけです。

むしろ、その用途に特化した素材であるとも言えます。

8.アートとは?

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さて、ここでちょっと工芸素材の話から変わりまして、「アート」というのはなんぞや?ということについて考えていきましょう。

アートに関する解釈というのは、人によっても解釈が分かれるところだとは思います。

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僕が思うにアートとは、「社会的な影響を与えうる可能性を秘めた制作物」であると思っています。

アートというのは、一般的には、その作品の作者個人の自己表現の手段であると思われがちではあります。ですが、もっとパブリック(社会的)な存在であるべきです。

ここでは、その理由について話したりすると主題とずれてしまうので、あまり多くを語りませんが、歴史的に見て、宗教絵画だとか、政治の装飾だとか、そういうものがアートのメインストリームだった時代があったということを考えると、それは明らかなことでしょう。

作品を見たり作ったときに、「なんかおもしろいかも」とか「景色が綺麗だった」という曖昧なことだけではなくて、「今の時代に作る意味」とか「なぜこの作品が必要なのか?」ということを考えていくべきだと思います。

そうでないと、ただの趣味と変わりないし、作品の存在意義がないも同然になってしまうからです。

あえて、「社会的な影響を与えうる『可能性がある』」という曖昧な表現を用いたのは、社会的な影響力を持っているアーティストはごく少数だからです。確実に、そういった影響を与える程のパワーを持った作家は居ません。

だけど、無名なアーティストだって、アート表現をすることはできます。大事なのは、現代における問題点だとか、世の中へ向けてのメッセージ性を必ず内包させるということです。

まあ、かなり大げさなこと言っているように聞こえるかもしれませんが、そこまで大掛かりである必要はありません。日常生活で感じることだとか、人付き合いの中で「ああいう人いるよね」みたいなことをテーマにした作品でも良いと思います。そういう小さなことでも、同じ現代日本を生きている僕達にとっては、ものすごく共感できることでもあったりする可能性がありますからね。

例えば、戦争の時代を生きた、もしくは生きている海外の現代アーティストなどは、「戦争」をテーマにした作品を作る人が多いです。それは、戦争というものがその国の多くの人びとの共感を呼ぶことができるテーマだからです。

だけど、平和な現代日本に生きている若い我々はそれは実感のないテーマだったりします。そんな我々が共感できて、さらには何かを感じることができるコンセプトであればそれで良いのです。今現在の社会への問題提起や、それを抽象化して表現するとか・・・そういった、誰もが共感できておもしろいと思える作品を作るべきです。

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作品制作で大事なことは、内包したメッセージを伝えるために、効率の良くそれを伝えることができるような作品を作ることです。そういった仕組みを作ったり、工夫したり、それだけの完成度を求めたりとか・・・そういった意識で作品制作をする必要があるって言うことなのですね。一番大事なのは、作品に込めたメッセージを、作品を見た人が無意識的にでもいいから感じ取ってくれるということです。

それを踏まえた上で考えると、とくに現代におけるアートには、「造形の美しさ」等の、従来の美術作品に必須だったはずの要素は、もはや必須ではないということにもなってくるというわけです。

ちなみに、レディメイドのインスタレーション作品などは、「誰かに向けてのメッセージ」という部分だけで構成されている作品です。だけど、社会的な影響を与えるという点においては、従来の美術品よりも、余分な要素である「美」を排除した事によって、非常に優れていると言うことができます。

それが、現代における「アート」の存在価値であり、本質的な部分であると言えるのではないでしょうか。

9.心技美

さて、そうなったときに、「マテリアルアート」というジャンルのアートは、どうなっちゃうの?という話をしなくてはなりません。

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この図を見てください。これ、僕が三日前くらいに考えた図です。

マテリアルアートに限らず、ほとんどすべての作品は、(すっごく大雑把ですが)この「心」「技」「美」の図(グラフです)に当てはめて説明することができます。

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まず「心」ですが、作品を通して人間の心に訴えかけたり、社会的なメッセージ性のことを全部ひっくるめて、ここではわかりやすく「心」という言葉を使って表記することにしましょう。大雑把に言えばコンセプチュアルな要素が多く含まれれば含まれるほど、この値が大きくなります。

「技」とは、制作のための素材や技術のことを指します。また、細かい部分の完成度の高さだとか、そういった意味での技術という意味も含まれます。また特殊な素材を特殊な技術で作品という形に仕上げるというのは、それだけでも高度な技術が必要だと言うことも含まれます。

そして、「美」は作品を見た時の純粋な美しさや、ビジュアル的な魅力のことを表しています。「綺麗」というだけの意味ではなくて、洗練された配置バランスだとか、見やすさだとかそういった全てを含んでいる値だと思ってください。

自分の作る作品でも、他人の作品でも良いですが、この図に当てはめて考えると、その作品の特性が理解しやすいのではないかと思います。

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↑この作品の場合はコンセプトも技術もあるけど、作品の見た目の美しさが足りない感じ。

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↑この作品はコンセプトもおもしろくて、見た目はものすごく綺麗なんだけど、技術が足りない感じ。

こうして、作品をグラフ化してみると、けっこうおもしろいです。

こうやってグラフ化すると、作品の特性を理解しやすいです。

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↑そして、こういう感じになると、理想的なのではないでしょうか。正三角形に近い形です。

コンセプトも技術も見た目的な魅力も、全部を兼ね備えている作品。

優れたアート作品を制作するためには、この3つのパラメーターがいい感じにバランス良くなることが、条件であると思っています。現在活躍中の有名なアーティストの方々の作品を想像してみると、この3つのバランスが崩れている人はいませんよね。粗が見えにくいので、その作家さんの作品の世界に意識が入っていきやすいです。

「アート」というものを制作するという視点から考えると、この3つの要素は非常に重要であると言えます。

さて、そこでマテリアルアートみたいな素材系のアートはどうなのか?という話です。

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↑これは極端な例ですが、このグラフのように、この3つの値が中途半端になってしまう事が多いです。「技」の部分が伸びすぎてしまって、「心」の部分が弱くなってしまいがちです。つまり、アート作品を制作するために最も表現されていなくてはならない要素が、中途半端な状態になってしまいがちであるというわけですね。

ぶっちゃけていってしまうと、素材そのものがおもしろすぎてしまうのですよね。制作には高度な技術が必要だし、きっちりと作った素材系作品は、見ただけでもものすごく魅力的な(表面的な)質感があります。それだけで、お腹が一杯になってしまうようなイメージです。

だけど、純粋なアート系作品に比べると、マテリアルアート系作品は、本来の主題の部分は伝わらず、主題ではないはずの「素材」という部分が気になってしまうという事態になりやすいのです。

「技」と「美」だけで構成されている作品は、「美術工芸品」や「美術品」です。もちろん、それはそれで否定するわけではありません。それはそれで素晴らしい作品が世の中にはたくさん存在しています。

だけど、社会へのメッセージ性が含まれていないそれらは、「アート」であるとは言いがたいでしょう。

それが、マテリアルアートと呼ばれるジャンルに属する作品の最大の問題点であると、僕は考えています。

10.素材から始めるか、コンセプトから始まるか

そもそも、僕もそうなんだけど、マテリアルアート系作品を作っている作家さんは、「素材」から、制作する作品のアイデアを考えていく傾向があるんですよ。

大学等で、素材を加工する技術を中心に習うわけですから、当然といえば当然です。(美大の工芸科では、技術は丁寧に教えてくれるけど、それ以外はほとんど教えてもらえない。)

金属系の素材を作る人だったら、金属をいかにして加工するか?陶器を使って作る人だったらそれをどんな形にするか?漆の作家だったら、何に漆を塗るか?そういったことから、次に作る作品を考えていくのが普通です。

だけど、それってかなり特殊なことなんですよ。すごくマニアックな考え方です。

なぜなら、アート作品というのは、誰にどんなことを伝えたいか?というのが主題であるはずですから、コンセプトから入っていくのが通常なんですよね。コンセプトから入って、それを表現するために、どんな手法を使って制作をしていくか?というのが、正規のルートではあると思います。

素材から入っていくのが悪いわけじゃありません。だけど、そのおかげで図の「心」の部分が弱くなる傾向があるというのは、間違いないです。

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ちなみに、逆にコンセプトから入っていく作家さんの場合は、「技」の部分が弱くなりがちです。(レベルが低い人の場合)コンセプトや、作品に込めた熱い思いは、話を聞くとわかるんだけど、作品の粗が見えすぎて世界に入っていけないみたいな感じ。

どちらが悪いとか、優れている、ということではなくて、一長一短な部分はあります。

大事なのは、作品を作る際のアイデア考案は、どこから入っていっても良いのだけど、最終的な着地点だけは間違えないようにするべきであるという話ですね。図が正三角形に近いようになるような、意識が必要です。

ただし、これらの工芸系の伝統的なマテリアルは元々は、美術工芸品を作るために特化した素材であったという点です。素直に考えるのであれば、陶芸で器を作ったり、金属でジュエリーを作ったりするのが、最も自然な形ではあるというわけです。

なので、それをどうにかして完成度の高いアート作品として昇華させるためには、それだけの苦労も必要なると言えるのかもしれません。

11.現在のような作品制作スタイルになった理由

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そして、現在のような制作のスタイルだとか、素材を使用するようになった理由というのは、ここまでで話してきた問題点の多くを解決できる方法だからだったりします。

学生時代の彫金技法を用いた作品を作り続けていた時期から、そこまでに至るまでには、ここでは紹介しきれないけど、いろいろと金属以外の素材を試したりした時期もありました。特に、大学院を卒業してからは金属にこだわらず、いろんな素材を使用して作品を作るようにしていました。

僕自身も、工芸系出身の人間なので、どちらかというと素材から入ってアイデアを考えて作り始める人間ではあります。だけど、昔から「誰に何を伝えたいか?」というメッセージ性のようなものは必ず作品に込めるように考えながら制作していました。

難しいのは、「個人的な感情」というだけではなく、世の中の多くの人への「斜め右上くらいの共感を得られるようなメッセージ」を作品に込める必要があったからです。そうでないと、アート作品に必要な「社会性」という要素を盛り込むことできません。個人的過ぎる身内的な感動だけ作品に込めるだけでは、世の中を動かすような作品を作ることはできませんから。

だからこそ、すごく悩んできたし、特に使用する素材が限定的になっていた時期は、自分の制作のあり方について否定的になってしまっていたこともありました。

そんな感じで悩みながら制作を続けてきて、今の自分というのがあるわけです。

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とりあえず、今のような「電子パーツ」を使用してハンダ付けして立体造形する方式を考えついてからは、「自分のやりたいこと」と「素材」と「それを使用した制作」が上手いことマッチしてきたようには思っています。

「コンセプチュアルな部分」と、「見た目的な美しさ」と、「素材やそれを組み立てる技術」を、違和感なく組み合わせるようになった気がします。

「電子パーツ」というのは、造形用の素材ではなく、電子機器に使用される部品です。だからこそ、現代的なイメージだとか、デジタルなイメージだとか、細胞的なイメージだとか、多くの意味合いを表現できるので、非常におもしろい素材だと思って使っています。

アート系作品の解釈というのは一つだけでなくても良いと思っています。鑑賞する人が自由に想像して、自由に解釈することができるのが、作品を観ることの楽しさだったりします。

だけど、そうは言っても、僕は、作品を作る前には、一応ガッチリとコンセプトを練ってから作り始めています。

そして、作品を作る際には、最初に設定した、その「表現したいこと」の終着点に向かって造形していけば良いのです。作品を見る人がその意味を自由に解釈するとは言っても、作者自身に具体的なメッセージがないままに作り始めると、やはり内容的にも浅い物になってしまいますからね。

そして、作品を通して、具体的にではないにしても、観る人は本当にいろんなものが観えているものです。

もちろん、こんなことを喋っている僕自身も完璧というわけではなくて、勉強しなくてはならないことや、課題も多いです。

だけど、まあ、しばらくはこの電子パーツをハンダ付けしていくシリーズでやっていくつもりです。

12.定番の素材を使用しないことでの世間からの反発

ただ、定番の造形素材ではなくて、電子パーツを使用してハンダ付けをするという技法を使用しての制作には問題もあったりします。・・・いや、自分的には問題に思っているわけではないのですけどね。

まず、ほとんどやっている人がいない手法を使っての制作は、作り方を自分に工夫しながら考えていく必要があります。これはまあ、自分で考えながらやればなんとかできることではあるのですが、伝統技法などとは違って誰も教えてくれる人が居ないという、不安感というかなんというかは感じることがあります。

また、「電子パーツ」という、本来であれば電子機器に使用されるような部品を使っている、ということに対しての反発もあったりします。

僕はブログを書いているのですが、その中に作品紹介の記事を掲載しています。

だけど、その記事をアップすると、批判的なコメントを書き込まれることがかなりの頻度であります。

Twitter等でも、作品画像をアップすると、「すごい嫌悪感ある」とか「無駄なことして・・・」とか「用途以外に電子部品を使われてるのを見ると悲しくなる」というリプライや引用ツイートが飛んで来ることもあります。

おそらく、こういう人たちは僕と違って、真面目に電子工作をしていたり学んだりしている人たちなのだと思います。何千個もの電子パーツを、別の用途に使っているような(本人達にとっては)ゴミみたいなのを見てしまうと、食べ物を粗末にするな!みたいな嫌悪感を感じる人が多いのでしょう。

つまり、造形材料ではない素材を用いて、本来の使い方ではないことをしてしまうと一定の批判や反発が起こるということなのですよね。だけどそれは、人とは違う変なことやって、それを発信しているわけなのだから、仕方のないことではあります。

だけど、こういう批判が来るのはしょっちゅうだけど、あまり気にしていません。まあ、僕なんかは大したことない方なんですけどね。

こういう批判をする人と言うのは、僕達のような世界の人間のことをわかっていない人達だし、いちいち気にしてたら、作品なんて作れませんよ。ネット上の叩きを真に受けてはダメです。

批判をする人達が言うように、電子パーツをゴミみたいに捨てているわけではありません。たしかに本来の目的とは違うけど、別の価値を付加して作品としているのだから、それで良いのです。

変わったことをしようとすると、それを叩こうとする人間が必ず現れます。誰かを批判することで、その批判に賛同する人間が現れて、それがその人達の承認欲求を満たすことにつながるからです。

特に、今の時代だと、ブログやSNSで、誰もが情報発信をすることができるようになった時代です。だからこそ、誰もが炎上したり吊るしあげられたりするような危険もあったりもします。

だけど、それはそれで全然良いと思います。賛否両論を得られる炎上であれば、全く問題ないし、今の世の中の何かに対しての問題提起ができるのであれば、それはアートを作っている人間として、真っ当なあり方であるからです。

そして、作品を作ったらそれを発信するのは、作品を作る人間の義務でもあります。だからこそ、時には炎上したり批判を受けるというのは、ある意味で避けられないことであるのかもしれません。

・・・まあ、何が言いたいのかといえば、変わったことやっていても、それで一部の人間から叩かれようとも、気にしないで自分のやり方を貫くのが一番ということですね。

13.マテリアルアートの可能性について

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最後に「マテリアルアートの可能性」についての話をしたいと思います。

マテリアルアートというジャンルは、一般的に考えれば、かなりマニアックなジャンルのアートです。

だから、ここまで話してきたように、それを活かすためにはどうするべきか?ということを、各々が真剣に考えるべきです。

どのように世の中に自分の作品を発信していくか?多くの人に受け入れてもらうためにはどうするべきか?効率よく自分の思想やメッセージを他人に伝えるにはどうするべきか?そのためには、今まで守ってきた自分の制作のスタイルだって、柔軟に変えていく必要が出てくることもあるかもしれません。

僕みたいに、伝統的な工芸素材と技法を捨てて、別な素材を使用して作品を作っていく道もありだと、僕は思います。

先ほどの、「心技美」をバランスの良いパラメーターにするまで持って行くにはどうするべきか、方向性をじっくりと検討する時間ももっともっと必要かもしれません。僕達のような人種は、作ることそのものが楽しすぎて、ついつい考えることを疎かにしてしまいがちなんですよね。

そもそも、本来工芸品として使用されていた素材と技法が、アート的に使用されるようになった理由は、工芸品という、かつては生活に必須だった道具の需要がなくなったからです。これは、さかのぼって考えると、かつて起こった「産業革命」と、日本の「高度経済成長」があって、全てが工業化していったからです。

かつては、現在のプロダクトデザインだとかにあたる存在が、昔の工芸だったんですよ。だけど、工業化によって、その存在意義が完全に失われてしまったというわけです。

つまり、放っておいたら、僕が大学に所属して習っていたような伝統工芸の技術だとか世界というのは、どんどん衰退していくはずのものなんですよ。

そして、明治時代やその後の時代、文明開化という事件を経て、伝統工芸の存在価値が揺らいだ時代。その技術や素材を、芸術の分野で活かそう!という人たちが現れます。それが、芸大美大の昔の先生だったりするわけなんだけど、そこからの流れが僕達に伝えられてきて・・・というのが日本のマテリアルアートの源流なのだと思います。

つまり、日本のマテリアルアートと言うのは、かつての伝統的な技術や素材を失わないために、僕達の先輩たちが考えて、やり始めた手法だったということですね。そうやって、工芸系の素材だとかそういうのを守ってきたというわけです。

そして、これからもそれを残していくためには、今の時代に必要とされる作品を作らなくてはなりません。だからこそ、僕たちはその精神を失わないために、多くのことを考えたり試行錯誤しながら、時にはその形を変えながら、制作活動をしていく必要があります。

個人的なものではなくて、素材を通してそうやって世の中に影響を与えることができるのか?それを考えていかないと、生き残っていくことはできないでしょう。

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金属でも漆でもガラスでも木材でも何でもそうですが、素材には、非常に大きな魅力があります。

ただ普通に作るだけでも美しいものでもあるし、ものすごい可能性を秘めていると思います。素材そのものが、力を秘めているものなので、鑑賞する人間をその作品の世界に引き込みやすいという利点もあります。

また、制作のために高度なテクニックが必要ということで、他人には真似できないような、独自の作品を生み出すこともしやすいです。

ひょっとしたら、超絶技巧を駆使して制作をするだけでも、作品として成立するような方法もあるかもしれません。

また、これまでに造形素材であるとされていない素材にも、優れたアート作品を制作できるような隠れた素材があるかもしれません。

マテリアルアートには様々な可能性が秘められています。

だからこそ、一つだけの手法に固執するのではなく、いろんな可能性を考察しながら表現活動をしていくことが必要なジャンルなのではないか?・・・と思いながら今まで制作してきたし、今回の展覧会を見て、そのようなことを改めて思いました。

以上です。

↑↑ここまでが話した内容です↑↑

まとめ

かなり長くなってしまったのですが、こんな感じの内容を話しました。(めちゃくちゃ急いだので、なんとか時間内には終えることができた。)

今現在はそこまでじゃありませんが、僕自身が学生時代の頃や、卒業してまもなくの頃は、自分の制作や作品スタイルが自分の理想とかけ離れていて、それが悩みでした。自分のやっていることに対してもすごく否定的だったりしていた時期もありました。

だけど、最近はかつて感じていた違和感だとかジレンマみたいなものを感じなくなりつつあるのかな?ということを思ったりもします。

今回出品した展覧会は、工芸系の作家の方も多く出品していて、当時所属していた世界に久しぶりに舞い戻ったような気持ちになりました。だからこそ、この展覧会の最後のシメを任された!ということで、このような内容をアーティストトークで話すことにしたのでした。

部分的に批判的な内容でもあったので、いろんな人に怒られるのはないかと不安だったのですが「現在のマテリアルアートが抱えている問題を全部話してくれた!」という言葉もいただくことができたので、話して良かったのかな?と思いました。

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↑今回の展覧会についての記事

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↑出品した作品に関しての記事

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